カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.9.3 熱かった夏②)

                                                  カメキチの目

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『おどろきの中国』という本を読んだ。

 新書版だけどおどろくほど中身が濃い。

 

 中国をめぐるニュース・話題が最近ことに多い。 

 上っ面だけでなく、まじめにかの国を知りたくなった。

 ちょっと首をかしげる「爆買い」と、悠久の中国文化(漢字や儒教・仏教・老荘など)はどうつながる?

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 中国は社会主義国であるが、ちっともそれらしくない。  

 生活の格差は資本主義国以上のようだし、ひどい事故は起きているし、子どもだましのようなサギ・ウソ・お粗末が平気でとおる。

 

 そういうことも気になるが、さしあたって私の重要な関心事は、先の戦争の日本と中国の歴史認識の違いだ。

(コトあるごとにわく。うじ虫のようです)

 

  本は3人の歴史・社会・哲学の専門家の対談なのだが、中国の事実を具体的にひもとき、読者といっしょに考えていく。なぜ、日中間で歴史認識のズレが生じ、問題になるのか?

 

 日本は、中国や朝鮮とは深いつながりがある。太古、日本列島は大陸とつながっており、「日本海」は湖だった。ずっとのち陸は離れても、多くの文化が中国から朝鮮ルートで日本に入ってきた。

 なのに日本は、秀吉の時代、朝鮮に派兵し、この前は中国を「侵略」した。

 詳しいことは本に譲るとして。

 3名はそろっておっしゃる。

 歴史を学ぶなかで、とくに子どもたちには日本人とし

てのプライドを身につけてほしい。

 だけど、そのことと歴史の事実とは別問題である。

 歴史の事実は一つである。それはけっして動かせない。

 認識は人それぞれ。さまざまでも…

 

 本を読んでいて、不思議でわからなかったことがわかった。

 日本が広大な中国で、たとえ、東アジアを開放し、欧米列強から守ると大義「八紘一宇」)をかかげて戦争を始めたとしても、列強の参戦で形成悪化、泥沼におちいったとき、どうして途中でやめようとしなかったのか?

 著者たちは述べる。わかりやすく言えば「引っ込みがつかなくなったからではないか」と。

 泥沼化し、

 軍は、自分たちのやっている戦争の目的がわからなくなった(もちろん、一人ひとりの兵卒も)。こうなるとヤケのヤンパチ、自暴自棄、あとは野となれ山となれ…。

 そういうところに、非道は起こる。起こった。

 

 歴史への認識。

 考えたり思うこと、信じること、表明することは自由である。

 自由だが、

 -・侵略への心からの反省がないから、いつまでも、こ 

  の問題は再燃する。

  ・「戦争をやったのは自分たちの世代ではないので関 

  係ない。から、謝る必要はない」

   そうなのだが、歴史を学ぶとは、私たちの過去と現 

  在とのつながりを意識すること。それが未来をつくる

   だと著者たちはおっしゃる。

   私もそう思った。

 

                   ちりとてちん 

 

82 朝顔

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夏休みの宿題で、朝顔観察はいつごろからあったのでしょうか?

いつごろか知らないけれど、宿題で、植物・生き物を育てる体験をさせるというのは

いいですね。 

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