カメキチの目
『おどろきの中国』という本を読んだ。
新書版だけどおどろくほど中身が濃い。
中国をめぐるニュース・話題が最近ことに多い。
上っ面だけでなく、まじめにかの国を知りたくなった。
ちょっと首をかしげる「爆買い」と、悠久の中国文化(漢字や儒教・仏教・老荘など)はどうつながる?
中国は社会主義国であるが、ちっともそれらしくない。
生活の格差は資本主義国以上のようだし、ひどい事故は起きているし、子どもだましのようなサギ・ウソ・お粗末が平気でとおる。
そういうことも気になるが、さしあたって私の重要な関心事は、先の戦争の日本と中国の歴史認識の違いだ。
(コトあるごとにわく。うじ虫のようです)
本は3人の歴史・社会・哲学の専門家の対談なのだが、中国の事実を具体的にひもとき、読者といっしょに考えていく。なぜ、日中間で歴史認識のズレが生じ、問題になるのか?
日本は、中国や朝鮮とは深いつながりがある。太古、日本列島は大陸とつながっており、「日本海」は湖だった。ずっとのち陸は離れても、多くの文化が中国から朝鮮ルートで日本に入ってきた。
なのに日本は、秀吉の時代、朝鮮に派兵し、この前は中国を「侵略」した。
詳しいことは本に譲るとして。
3名はそろっておっしゃる。
-歴史を学ぶなかで、とくに子どもたちには日本人とし
てのプライドを身につけてほしい。
だけど、そのことと歴史の事実とは別問題である。
歴史の事実は一つである。それはけっして動かせない。
認識は人それぞれ。さまざまでも…-
本を読んでいて、不思議でわからなかったことがわかった。
日本が広大な中国で、たとえ、東アジアを開放し、欧米列強から守ると大義(「八紘一宇」)をかかげて戦争を始めたとしても、列強の参戦で形成悪化、泥沼におちいったとき、どうして途中でやめようとしなかったのか?
著者たちは述べる。わかりやすく言えば「引っ込みがつかなくなったからではないか」と。
泥沼化し、
軍は、自分たちのやっている戦争の目的がわからなくなった(もちろん、一人ひとりの兵卒も)。こうなるとヤケのヤンパチ、自暴自棄、あとは野となれ山となれ…。
そういうところに、非道は起こる。起こった。
歴史への認識。
考えたり思うこと、信じること、表明することは自由である。
自由だが、
-・侵略への心からの反省がないから、いつまでも、こ
の問題は再燃する。
・「戦争をやったのは自分たちの世代ではないので関
係ない。だから、謝る必要はない」
そうなのだが、歴史を学ぶとは、私たちの過去と現
在とのつながりを意識すること。それが未来をつくる-
だと著者たちはおっしゃる。
私もそう思った。
82 朝顔
夏休みの宿題で、朝顔観察はいつごろからあったのでしょうか?
いつごろか知らないけれど、宿題で、植物・生き物を育てる体験をさせるというのは
いいですね。