カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.9.27 難民・新国立競技場のこと)

                                                  カメキチの目

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 いま、ヨーロッパではシリア難民の受け入れをめぐって大騒ぎだ。他人ごとではけっしてない。

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 ちょっと前、A新聞に国連高等難民弁務官の職にあった緒方さんの意見も載っていた。

 

 私は、「積極的平和…」を言うなら(言わなくても)、日本はシリアからは遠いけれど、コトは生命に関わる大事。受け入れを申し出る必要があるんじゃないかと思っていた。

 そこに、おとといの夕方、M放送の地域ニュース番組の特集コーナーでこの問題が取り上げられ、おなじみのアナウンサー(この方は女性ではないですが、私は 好きです)が、まったく同じことを言われ、またまた私の好感度は上がった。

 それによれば、シリアからの日本への難民申請は5000人ありながら、わずか3人しか難民として認められなかったという。信じられないような話だが、事実なのである。全然しらなかった。いまは最低限の収入しかないので協力もほとんどできていないが、かつては『難民を助ける会』に入っていたというのに。

 3人というのは3ケースという意味ではなくて、その家族が3人いたということである。

 

 話が変わるけれど、新国立競技場建設のことで、A新聞のコラムにあった。

 あっちこっちと二転三転したあげくいまだに先の見通しは立たず、関係する複数の組織・機関の誰もが「責任は私にあります」と言おうとはせず、あいまいな言動を続けて時間をかせぐ。そして、いつのまにか世間が静かになるのを待っている。

 コラムは続けて、日本の先の開戦について「何となく何物かに押されつつ、ずるずると…」という、著名な思想史家、丸山正男の言葉を引き、だれも責任をとろうとしない日本の「体質」に言及。

 

 私は、難民も新国立競技場も、根っこは同じだと思う。入国管理局は難民の認定をもっともっとゆるやかにし、新国立競技場は建設に向けての経緯をつぶさに公開すればいい。 

 まじめな人びとは、「でも、その立場にあったら自分は…」と考えがちだけど、ふまじめな私は、こういう社会・政治に関わるモノゴトはそんなに道徳的・倫理的にみなくていいと思う。

 要は、そおっと自分の胸に手を当ててみればいい。

 

                   ちりとてちん

 

89 きのこ

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これが茶色なら、「マツタケ」ですね。

 

私は貧乏な家で育ちましたが、父や伯父がキノコ採り“名人”で、

松茸はじめ、よくいろいろなキノコを食べました。

のちに、店先に松茸が高い値段で置かれているのを見て驚きましたが、

ふたりは気前よく、周りの人にもわけていました。みんなの喜ぶ顔がよほど

嬉しかったのでしょう。

(昔の話です)

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