カメキチの目
「そうだった。私は良寛さんの大ファンだったのだ」
夢のボールペンどころではなかった。
作家の五木寛之さんの本に、私も知らない良寛の逸話が載っていた。それがとてもよく、胸にジ-ンときた。
- しようがないムスコ(良寛には甥)をさとしてくれまいか、と弟が頼みこんできた。自信はないが、たっての弟の頼み。引き受けた。
引き受けたが、やっぱりコレといったさとし・教えの言葉、名案は出てこない。黙ったままだ。
良寛は黙ったまま帰ろうとし、腰をあげ草鞋を履こうとすると、先に甥がしゃがんで良寛の草鞋の紐を結ぼうとした。
すると甥の手もとに、ポタポタ…涙が落ちてきた。 -
良寛の流した涙で甥が変わったかどうかはわからないが、著者は“涙”(悲しみ、暗さ、憂鬱など、じゅうらい否定的にとらえられた感情)のたいせつさを強調していて、私も強く共感した。
良寛の生きた時代は江戸後期だから風俗・風土、文化も現代とは段違い。それがわかってはいてもほんの一部でも残っているだろう、それを味わいたいと、私は佐渡を眺める越後・出雲崎を訪ねたこともある。
まだ車にも乗れたころ、10年以上も昔のことだ。「五合庵」にも行った。
「五合庵」は良寛、最後の住まい。体を雨露から防ぐだけの粗末な造りで、後述の彼の詩から生き方とともにイメージできる。
出雲崎の海や山、平地。何よりこの大気は、ほとんど当時と変わらないのではないか。と想うと、感慨がわいた。
生涯瀬立身
騰々任天真
裏中三升米
灯辺一束薪
誰問迷悟跡
何知名利塵
夜雨草庵裡
双脚等間伸
生涯、身を立つるに瀬(ものう)く。
騰々(とうとう)、天真(てんしん)に任(まか)す。
嚢中(のうちゅう)、三升の米。
灯辺(ろへん)、一束(いっそく)の薪(たきぎ)。
誰をか問わん、迷悟(めいご)の跡。
何(なん)ぞ知らん、名利(みょうり)の塵(じん)。
夜雨(やう)、草庵の裡(うち)。
双脚(そうきゃく)、等間(とうかん)に伸ばす。
立身出世はちっとも興味無い。ただただ、食っていけたら、夜雨をしのげたらよい。ズタ袋に米三升、
囲炉裏のはたに薪が一束あればよい。
迷いや悟りはどうでもいい。カネも名誉もいらん。
この粗末な草の庵だが、「あーぁ」。足を伸ばせばいうことなんぞなんにもない。
(…というような意味ですが、自分流に解釈すればいいと思います)
97 脚つき三宝
前のに脚がついています。
こっちのほうが権威ありそうですね。
“権威”好きな議員さんとかには喜ばれそうです。