カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.11.22.  盲ろう)

 

                                                  カメキチの目

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  (先日はお騒がせして申しわけなかったです。治ったのかどうかはもうしばらくしないとわからないのですが、わからないことはいい方向に解釈し、完治したつもりでいようと思っています。さいわい平熱が2日間続いています)

 

 盲+ろう とは、どんな世界なんだろう?

  残されたのは、においを嗅ぐ・味を感じる・モノに触る。

 

 テレビの『報道特集で放送され、知り、思い考えた。

 

 人は、ほかの人の身に代われない。

 代われないけれど、代わった自分を想像してみるのはだいじなことだろう。

 見えなくて、聞こえない。

 目をつぶり、耳を押さえればそういう世界になる

(いま、私もやってみた)。

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 テレビでは、大きな布に乗せて揺らし全身を快く刺激したり、その子に触れてなにかを伝えるなど、手探りながらさまざまな早期からの教育が試みられているのを紹介していた。

 もとにはなによりも親の愛情があるが、養護学校の先生の地道で情熱的な取り組み、試行錯誤によって、目が見え耳が聞こえるようにならなくても、少しでも障害をハンディと感じなくてもすむことが可能になる。

 私はまったく知らなかったが、日本では「盲ろう」、つまり盲とろうが重なった人たちを援助するための法律がなく、養護学校の先生は研修さえ自前でしなければならないとのことだ。

 番組は、一刻も早く支援体制・制度の創設を訴えていたが、そうなれば教育や訓練ばかりでなく、盲ろうの研究も進むに相違ない。

 

 こっそり

「上ばかり見るな。下を見ろ」

「オマエの障害はマシだ」

 と、もう一人の自分がささやいている。

 無意識のうちにそうしている。

(認めたくなくても) 

 恥ずかしい…

 

 そういう己を注視すれば、きっとなにも怖くはないだろう(と、思った)。

 

                  ちりとてちん

 

 

105 状差し

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郵便物を入れます。

障害のせいにしてはいけないのですが、これもきちんと折れていなく、すみません。

しっかりした大きな強い紙で折ればじゅうぶん、実用になります。

たまには絵手紙なんか自筆でかいたらいいですね。もちろん、自分自身に宛てて。

「ヨゥ!がんばってるね。でも、ほどほどに」なんてつけ添えて。

自分へのいいご褒美。

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