カメキチの目
きょうからときどき、私がブログを始めるきっかけの一つとなった禅語を書こう。
「両忘(りょうぼう)」
黒白つける、という極端な考えはやめようということ。
〇か✖か 好きか嫌いか 善か悪か 保守か革新か…
若いころの私はそうだった。
そうだったが、学校生活で、友人Bに「おマエはAともつきあっているだろ。八方美人だ」と非難された。
私にはAもBも友だちだった。が、AとBは敵対していたので、どっちにもヘラヘラしている(ヘラヘラしていとは思わないのですが)私は許せなかったらしい。
そのうち私はしたいことが変わったといって学校をやめたが、もうひとつ、チマチマした人間関係の世界をとび出したかったこともある。
しかし、それをわずらわしいと感じ、そこをとび出すという極端な選択をしたのは、それ自体が黒白だった。
黒白思考という両極端な考えをせず、灰色を認める。
ということは、いい意味では「中庸」であり、ほどほどである。でも、わるい意味ではいい加減ということだ。
もちろん、いい加減ですまないことがある。が、そんなだいじなことはそうそうあるわけではない。
基本は中庸。灰色(ともかく幅が広く、多様だ)。
自分をそんなふうに相対化すれば、意地を張らなくてよい。相手も相対化され、まあまあ…の、妥協しあう関係だ。相手を認め、自分を認める。
謙虚で寛大(やさしく)になれる。
それがいい意味で“大人”になるということか。
子どもからだんだんに大人になってゆく。
白がだんだん黒になってゆく。
しかし、まだ完全な黒、漆黒には至ってはいない。
こんな歳になって、やっと大人に近づいた。
しかし、どっちが先だろう?(私は大人になる前に死ぬかもしれない…)
ウン?… 生・死。
それは、黒・白みたいにはっきりせんとイカンのかな…生と死の間、灰があってはイカンのかな…
ハテハテ?
109
もう12月。
12月といえばクリスマス。
クリスマスといえばサンタさん。
サンタさんといえばコレです。