カメキチの目
いまサイ(つれあい)は、なんと『源氏物語』に挑戦している。
お互い人生の終末を控え、生きているうちに本も読むべきものは読んでおきたいからだ(そういえば、並行して『カラマーゾフの兄弟』も)。
先日のこと。彼女は言った。「おもしろくない…」
私は返した。「やめたら」
まっ、いまはおもしろくなくても、“我慢”して読み進めれば、おもしろさが出てくる、かもしれない。
なんせ後世に大作・名作と称される物語だ(瀬戸内寂聴さんも魅せられている)。
が、読書は我慢するものなのだろうか?…ウウン?
初めはイヤイヤでも、途中でおもしろくなればいいし、最後までイヤイヤであっても、イヤイヤに耐えた自分をスゴイ!と称賛できるなら万々歳。
(このことは読書だけでなく、なんにでも当てはまるのだろう。たとえば、それがいまの自分には理解できなくても、押しつけられ、わからないままやるしかないことでも、あとになってわかることがある)
子どものころ、私はほとんど本を読まなかった。
「もう一度、人生やれるなら、世界(日本)文学(選)全集を読みたい」
「わからない言葉があったら、そのつど国語辞典ひいて調べたい」
「手間がかかる」「面倒くさい」…から逃げる。
それで、私は人生の大半を過ごしてきた。
「ローマは一日にしてならず」
長い年月をかけ、自分は形作られた。
ところで…
いまはおもしろくなくてもあきらめていないようだ。
この前はたしか、『アンナカレーニナ』がどうのこうのと言っていた。
112 サンタクロース2号
「画竜点睛を欠く」