カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2015.12.23 年の終わりによせて①)

 

 

                                                  カメキチの目

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  ことしもあとわずかとなり、ふと思った。

 少しかしこまったわけじゃないが、ちょっと大げさなことを。

「人は、社会的存在である」また「歴史的存在でもある」

 

 いま・ここ、現在の日本国で自分は生きていることを。

 それなりに生きてきて、わいてくる感慨だ。

 

 暦では一年が終わろうとしている。

 昔。中国では、人の一生を一年にたとえた。

“青春”→“朱夏”→“白秋”→“玄冬”

(うまいことを言いますね)

 いまは暦の上だけでなく、私も玄冬期。

                   

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 戦後すう年して生まれた私の世代は、過ごした時代も「春→夏→秋→冬」。順序も、中身もだいたい当てはまっている。

 そう考えると、あとの世代、過去の世代にすまない気がする。負い目みたいな感情があるのを、ときどき自覚する。

 

 資本主義社会である限り“不況”は避けられなく、私の若いころも就職がしにくかったときはあったが、「超氷河期」と形容されることはなかった。労働組合も強かった。社会党という自民党に対抗できる野党もあり、“非正規労働”も“派遣”も“能力評価”も“ブラック”もなかった(あることはあったのでしょうが、少なくとも昨今のように社会問題になるほどではなかったのかな?)。

“グローバル”も、“エコ”も“持続可能”も“地球の温暖化”も“COP”もなかった。

 戦争反対を叫んだだけで投獄され、転向を強要され、拷問を受け、竹やりでわら人形を突く訓練をし、戦争で人を殺し、自決し、家族が殺される悲惨や苦しみをなめなくてすんだ。

 

 そういえば、あしたはクリスマス・イブ。

 きのう、いつもの大型スーパーに行ったとき、ツリーには気づかなかったし、ブーツのお菓子も種類はわずかだった。

 ことし、完全にハローウィンが追い越した。

 ちょっと大げさだが、時代の移り変わりを感じた。

 

                   ちりとてちん

 

113 トナカイ

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わざと下に頭のほうをもってきたのではありません。

(なんども編集するのですが)横にならないのです。すみません。

 

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