カメキチの目
ことしもあとわずかとなり、ふと思った。
少しかしこまったわけじゃないが、ちょっと大げさなことを。
「人は、社会的存在である」また「歴史的存在でもある」
いま・ここ、現在の日本国で自分は生きていることを。
それなりに生きてきて、わいてくる感慨だ。
暦では一年が終わろうとしている。
昔。中国では、人の一生を一年にたとえた。
“青春”→“朱夏”→“白秋”→“玄冬”
(うまいことを言いますね)
いまは暦の上だけでなく、私も玄冬期。
戦後すう年して生まれた私の世代は、過ごした時代も「春→夏→秋→冬」。順序も、中身もだいたい当てはまっている。
そう考えると、あとの世代、過去の世代にすまない気がする。負い目みたいな感情があるのを、ときどき自覚する。
資本主義社会である限り“不況”は避けられなく、私の若いころも就職がしにくかったときはあったが、「超氷河期」と形容されることはなかった。労働組合も強かった。社会党という自民党に対抗できる野党もあり、“非正規労働”も“派遣”も“能力評価”も“ブラック”もなかった(あることはあったのでしょうが、少なくとも昨今のように社会問題になるほどではなかったのかな?)。
“グローバル”も、“エコ”も“持続可能”も“地球の温暖化”も“COP”もなかった。
戦争反対を叫んだだけで投獄され、転向を強要され、拷問を受け、竹やりでわら人形を突く訓練をし、戦争で人を殺し、自決し、家族が殺される悲惨や苦しみをなめなくてすんだ。
そういえば、あしたはクリスマス・イブ。
きのう、いつもの大型スーパーに行ったとき、ツリーには気づかなかったし、ブーツのお菓子も種類はわずかだった。
ことし、完全にハローウィンが追い越した。
ちょっと大げさだが、時代の移り変わりを感じた。
113 トナカイ
わざと下に頭のほうをもってきたのではありません。
(なんども編集するのですが)横にならないのです。すみません。