カメキチの目
「喫茶去(きっさこ)」
これはいいです。
詳しい話や説明はパソコン検索におまかせし、自分流に言いたいことを。
「まあ、まあ、お茶でもどうぞ…」とせったいし(され)、お茶(お茶でなくとも)のお・も・て・な・しをする(される)。
とりたてて、むずかしいことをする。努力をようすることでもない。なんでもないことだ。
だれでもできる。そこがいい。
だが、自分がせったいを受ける立場になったときは、ひとつだけ守らねばならぬことがある。
のんでいることを意識するのである。
お茶をのんでいるときは、少なくとものんでいる間は、私はいま・ここでのんでいるということを感じ、そのことによって「私は生きているんだ。あ~ぁ…」と思える。
さっきまで自分を悩ませていた問題がどうでもよく思えたり、つまらぬことで(つまらないことでなくても)、その問題をもっと広い視野から、あるいは別なところからとらえてみよう、という気になったりもする。
でも、これはなにもお茶をのまなくてもできる。
(そうですが、お茶をのむほうが楽しいですね)