カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2016.1.29 喫茶去)

 

                                                  カメキチの目

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         「喫茶去(きっさこ)」

 

 これはいいです。

 詳しい話や説明はパソコン検索におまかせし、自分流に言いたいことを。

 

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「まあ、まあ、お茶でもどうぞ…」とせったいし(され)、お茶(お茶でなくとも)のお・も・て・な・しをする(される)。

 とりたてて、むずかしいことをする。努力をようすることでもない。なんでもないことだ。

 だれでもできる。そこがいい。

 

 だが、自分がせったいを受ける立場になったときは、ひとつだけ守らねばならぬことがある。 

 のんでいることを意識するのである。

 お茶をのんでいるときは、少なくとものんでいる間は、私はいま・ここでのんでいるということを感じ、そのことによって「私は生きているんだ。あ~ぁ…」と思える。

 

 さっきまで自分を悩ませていた問題がどうでもよく思えたり、つまらぬことで(つまらないことでなくても)、その問題をもっと広い視野から、あるいは別なところからとらえてみよう、という気になったりもする。

 

 でも、これはなにもお茶をのまなくてもできる。

(そうですが、お茶をのむほうが楽しいですね)

 

                   ちりとてちん

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