カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2016.2.17 死)

 

                                                  カメキチの目

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 義妹のダンナさんが亡くなった。

 早かれ遅かれ、こんな日がくるのかなとは思っていたが、一方では、確率は少なくてもよくなると信じていた。

 

 毎日、マイ仏壇の観音さんにお参りしていた。

 祈り・願いはかなうとすなおに信じるほど、私の心は無垢ではない。

 悲しい報せがあっても、ショックだったが動揺はしなかった。

                         

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 おくさん(義妹)はとっても律儀で、ダンナさんは幸せだったにちがいない。

 幸せでも、死は死だ。もう会えない。

 ご両親は健在で、覚悟はされていたというものの、息子が先に逝き、どれほどつらい、やり切れぬ思いをされているだろう。

 死ぬ本人は、意識清明なら“死ぬ”から怖い、イヤだぁーですむ。“死”はその瞬間まで訪れるかどうかわからないのでいいけれど、遺された方はたまったものではない。

(私は死にかけた体験があります。あの意識を失った状態がそのまま続き、目が覚めなかったら死んでいた。

だから、「死とは生の裏返し」とよく言われるけれど、コインが表のときは必ず裏は隠れているのと同じで、きわめて簡単、単純、素朴なものだろうと思うのです。

あたり前ですが、死んだら生き返られません。

あたり前・自然なことをだいじにせねば)

 

 その義妹のダンナさんとは、結婚式と、義父母の葬式と、私の事故の退院後に二人で遠いところから見舞いにきてくれたときの4回しかないが、見舞いのとき初めて親しく話し、それが忘れがたい(短時間のことではあったが嬉しくて、そのときの姿が胸に深く残っている)。

 さきおととい、葬式があった。けなげに動く義妹とお母さんの姿が印象的だった。

 女の人はえらい。すごいなあ。

(男より長生きして当然です)

 

                   ちりとてちん

 

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