カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.5.21 反省

 

                                                  カメキチの目

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 5月〇日

 

 考えた。

「生きる」ということは「生活する」こと。

 考えるまでもなくあたり前のことである。

 だが、

 その「あたり前」が時に(自分の問題として)、突然やって来ることがある。

 

 思えば、

「あたり前」「当然」と信じ込み、意識することもない(呼吸のように、空気のように)モノゴトが、日常にはどれほどいっぱいあることだろう。

 もちろん、そんなことをいちいち気にしていたら、まい日を順調には暮らしてはいけない。

 忘れ(てい)たり思い出さないほうが、意識を向けないほうがいいモノ、コトがある。そうすることのほうがたいせつなトキだってある。

 ちょっとおおげさに言えば、平穏無事に過ぎ去っている「日常」が成り立たなくなってしまう。 

 

「『生きる』ということは『生活する』」

 それを自覚するきっかけは、ブログ読者〇〇さんの手芸の話と出あったことである。読んでいるうちに、突然(偶然)フゥーっと来た。

ということは、早かれ遅かれ、こうなる必然はあったのでしょう。

「とてもかわいいしステキだけど、自分にはできんな…。〇〇さんえらいな…」

 こういう感想というか感心はいつもはそこまで。感じてオシマイ。そこですめばよかったけれど、このときはそこで終わらなかった。

 ウ、ウ~ン…考えるはめになったのだ。

 そのブログに、とくに私がそうなってしまうようなことが書かれていたわけではないし、手芸自体、ウチでもまい日のように目にしている。

 コトは手芸、裁縫の話だけでない。とくに料理。

 ともかく人が生きてゆくうえで欠かせない生活技術すべてのことなのである。

 生きてゆくための具体的なワザが自分には極端に欠けている、ない、ということを痛感した。

 

 ずっと昔、「わたしつくる人」「わたしたべる人」というのがあったが、私は「食べる」ばかりであった。

 そのうち、ツケがやってくるのかな…

 

  しかし、やり直すわけにはいかない。

  二度、生きるわけにはいかないのだ。

それとなく、退職したら料理してみよう、ボランティアしよう、と思っていましたが…

昔、自動車学校で「たら・だろう」で運転してはならないと教わりました(印象的だったので今でも忘れません)。それはなにも安全運転だけのことではなく、生き方で実践しなければならなかったのですね。

 

 

                   ちりとてちん

 

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