カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.6.7  北海道の旅①

 

                                                  カメキチの目

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 芭蕉の思いの深さには足元にも及ばないけれど、旅の到達点では彼を越した。

 昔、「蝦夷地」と呼ばれたところを訪ねた。

 北海道は、あまりにすばらしかった。「すばらし過ぎ」というくらいによかった。

 

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 何を旅に求めるのかは人それぞれで、その満足度がその旅の評価につながる。

そもそも、「旅なんて…」という方もおられるに違いないと思います。したくても…という人も。

でも、時間さえあればできます(おカネはなんとかなる)。時間がいまはなくても、ありあまるときがきます。

 私たちは“自然”である。

 なまがいちばんだが、それに人間の手がちょっと加わった、「里山」とか「里海」と呼ばれるような自然もいい。

 人工的100%の大都会やかなり人の手が加えられた地方都市や「半都会」も、人間という広い意味での自然の創作だと思えば、それはそれでいいけれど、私たちの身体の中には大自然、なまの自然が息づいているようで、老いてくると水とか土とか木、ほかの生き物がとても懐かしくなってくる。

 

 話が旅から離れるけれど。

 便利や楽(ラク)の追求‐いちばん欲しているのはじつは私かもしれません。そんなヤツがえらそうに言っていてゴメンなさい‐が人生至上の目的なのだろうか?

 そのための際限のない科学技術の発展、すなわち経済の成長が、ほんとうに人類に望ましいことなのだろうか。

と言いながら、北海道新幹線に乗り、函館北斗駅に降り立ったのは誰じゃ?

そうなんですが、新幹線が開通したら、それまでの在来線は次から次へと、天下のJR(かつては「日本国有鉄道」。通称「国鉄」。狭い国土というのに、民活分営化ということで分けられた)から第三セクターなどに移管されるのです(分割のまた分割)。そのイカン(「移管」はイカンのです)による弊害・不便を、旅行者はそのときだけガマンすればよいのですが、地域住民は日々いつも忍ばなければならないのです。

私たちはもう20年ほど前、初めて大好きな東北へ旅したとき青森の浅虫温泉へ行き、野辺地を通って大湊線で恐山にも行ったのですが、大湊線こそJRで残っているものの、浅虫経由野辺地までの線路は移管されていました。青森まで新幹線が通ったことによるも。北海道でも同じですね。

スピード。速さ

新幹線は子ども・年寄りには速すぎます。おかげで風景があまり楽しめない。私は出始めの「ひかり」や「こだま」くらいが人間の目の限度だと思います。ところが、新幹線もドンドン速くなっている。次はリニアカー。国は国家戦略と称して国民の血税をJRという大企業に注ぎ込もうとしています(けっきょくは、超巨大工事で土木大企業を儲けさせるのが狙いか)。誰が東京ー大阪を1時間で結びたいと思うのでしょう。地上を進まなくても、空を飛行機で飛べばすむことなのに…

飛行機はテロで墜落されるかわからないって? それはリニアカーだって同じでしょう。テロが起きない地球にしなきゃあ…

 

 じつは、こんどの旅はJRの宣伝しているようでシャクにさわるが、「フルムーン」というサービスを使った。

詳しくはそのサイトを見てください。

 

 この旅でもまた、芭蕉の言葉を再確認した。

「月日は百代の過客」「日ゝ旅にして旅を栖とす」。

 同時に、「思い立ったが吉日」という言葉があるが、それも感じた。

 生きている間に、しかも身体がついてきてくれるとき、行きたいところに行き、したいことはしなければならない。

これはオマケの話ですが、「たまたま」(偶然)ということも感じました。

というのは、無事に旅を終えホッとしましたが、JR北海道の事故で(それもちょっとの時間のズレで遭遇し)、乗るはずの列車に乗れなかったかもしれませんでした。天気も含め、私たちは幸運だったと何度も思いました。

 

                   ちりとてちん

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