カメキチの目
こんどの北海道旅の目的地は、いわゆる「道東」。
「ノロッコ号」が登場してとくに有名になったが、1980年のラムサール条約に登録された頃から、いつかは根釧原野・釧路湿原を訪ねたいとずっと願っていた。
それから、アイヌの人たちの文化を、雰囲気のいったんだけ(旅なのでしかたない)でも味わいたかった。
大好きな東北に住んでいれば違うのだろうけれど、いまの私たちの住まいからは北海道は遠かった。
日本を半分くらい移動した。
飛行機が嫌いなので、鉄道・バスばかり利用する。
時間がかかる。
時間はかかるが、車窓からの風景を目的地と同じくらい楽しむのが、私たちの流儀だ。“流儀”、つまり“スタイル”といえばちょっとカッコイイが、それができるのは、旅のしたくからその最中まで、雑用すべてをツレに任せているからです。
時間がかかり、一発で釧路まではとても行けず、やむなく苫小牧で泊まった。
苫小牧。
私の人生で、ここに来ることはアリえなかった。が、私の人生も福島原発事故と同じく、「想定外」だった。
苫小牧といえば、「苫東」である。ちなみに「苫東」を間違って書いたらいけないと思い、ネット検索したら、あったあった。(株)自然と人間社というところから加藤雅昭さんという方が述べておられた。
広大な石狩なにも石狩だけではありません。北海道は雄大な自然がともかくいっぱい詰まっているのです。の勇払原野を「不毛の大地」と呼んで、それを大コンビナートに変えようと、大開発業者が国とタックルを組み、国家の大プロジェクトとして始まった。1960年代後半(まだいわゆる「高度経済成長期」の後半)に計画され、着工から30年を迎える。1998年当時で、周辺整備を含め3600億円とも言われるカネを投じた(もちろん他の公共事業同様、国民の税金でまかなわれている)。
泊まった先のビジネスホテルここは夕方に着いて朝は早く発つこともあったので、それに好きな温泉もなかったので決めたけど、こういう利用もいいもんですね。の部屋からは製紙大企業の広大な工場が見えた。巨大な煙突からはモクモクと雲みたいな煙が吐き出されていた。工場の屋根には飛行機や高層ビルからしか見えない「ネピア」が。
部屋は高かった(料金ではない)のでかろうじて見えました。
そういえば、苫小牧は企業城下町だった。駅前にはアイスホッケーの像が。
それにしても、駅周辺しかウロウロできなかったが、街はさびれている印象を受けた。
「苫小牧よ。お前もか」
でも、ほっき貝の寿司。とってもうまかったです。