カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.8.16 なぜ私のヘソは曲がっているのか?②

 

                                                  カメキチの目

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 ほんとうの自分はほんとうはホントもウソもありません。へそ曲がりではない。すなおだと思う。

 だが、そういうことはどうでもよい。

 

 きのうは、71年前。「鬼畜米英」に負けた日である。

 今じゃあその「米英」となかよくやっているという。

 

 とくに「米」とは大の「なかよし」。

 それもよい。が、上下関係なしの立場なのだろうか?

米軍基地があるというし…。

「英霊」には何と説明するのでしょう?「説明責任」が国にはあると思うのですが…

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「オギャー!!!」

 生まれたときは、人はだれも攻撃的ではない。

 育つなかでも、なにもなければ友好的だと思う。

「イジメ」「ブラック」「ヘイト」「争い」する人は、なにかがあったからか。

食うモノがないとか、ひもじいとか…。はじめはそんな動物レベルで、「弱肉強食」で人類は隣の部族と争いを始めた。

(何千年もの間、戦争は繰り返された)

行き着いたところは、「これ以上の殺人が行われないために」「犠牲を最小にとどめるために」原子爆弾を開発・製造し、広島・長崎に落とすことだった。

(かくして世界には、「核の均衡」という脅しの「平和」が実現)

 

 ためらわず殺すには、自分の側の「正義」を信じ、相手を人間としてみないことだ。

 そうすれば女でも子どもでも殺せる!

 爆弾を落とせば一発で何万人、何十万人と焼き殺せる。爆弾おとした人は(空は遠いので)地上の悲惨をみないですむ。ゲームと同じ。

 

 どれほど今日の日本で戦争が起きるとは信じられない、「テロは起きるかもしれないが、自分はだいじょうぶ」と思っていても、怪しげな動きが現実化し、これまでなかった危険が近年、大幅に増えた(と私は思っている)。

 若い人は感じないだろうが、長く戦後を生きてきた者はヒシヒシ感じる。

国や政府のすること、しようとしていることはすべて(いちおうは)法律にもとづかなければならないので、ふつうに暮らしている大多数の国民はわかりません。

「わかる」には頭の痛くなるような条文をいちいち読んで理解し、検討しなければならない。

私たち庶民は働いて税金を納めなくてはならず、忙しいです。とても法律をいちいち知るヒマはありません。

ですから、生活に関わるだいじなこともおおかたは政府(行政。具体的には官僚に)に全面委任しています。つまり「丸投げ」。

「丸投げ」を許さないため、昔、石炭の採掘にカゴに入れられたまま炭鉱に連れられ、ガス爆発の危険があればいち早く察してくれたカナリヤと同じ働きを、「安保法反対」「沖縄からの米軍撤去」…などの集会・デモは果たしてくれているんだと、私は思っています。

 戦争で人を殺さない(殺されない)ために、戦場という人の感覚をマヒさせてしまう状況を、けっしてつくってはならない!

誰が好きこのんで人を殺したいでしょう!

「戦争」という状況・場をぜったいつくってはならない!

 

 私は心配しすぎ、焦りすぎなのだろうか。

「社会不信」が昂じて、このごろは「人間不信」になった。

 

 天下のNHKに『のど自慢』という長寿番組がある。

 楽しくて人間っていいなぁと感じさせてくれるテレビ番組だ。

 しかし、これは「ケチをつけ」ているのではありません。

 歌っている方のリズムに合わせ、背後で出演者みんながそろいもそろって右に左に手を振っている場面がチラチラ出る。みなさん気心が知れた仲なのだろか?昔からの知りあいなのだろうか? 「同調圧力」でないことを祈ります。                           

 

 

                    ちりとてちん

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