カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.10. 1  心配してもしかたない? 未来のこと⑤

 

                                                  カメキチの目

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①から④まで書いて、だいじなことはみんな言ったような気がします。

でも、『いのちをつくってもいいですか?』は、ほんとにすばらしい本(と私は思っている)なので目次にそって紹介させてください。

構成は

第1章 身体を“改造”すれば幸せに?

第2章 「理想の子ども」を選べるなら

第3章 いのちをつくり変えてもいいですか?

第4章 「すばらしい新世界」には行きたくない?

第5章 「いのちは授かりもの」の意味

第6章 小さないのちの捉え方

第7章 つながりのなかに生きるいのち

終章 個のいのち、つながるいのちいのち

となっています。

各章で、とくに述べたいことだけを(重複することは「しつこい!」と思われず、「強調したいんだな」とお思いください)述べるつもりです。どうぞ、おつきあいくださるようお願いします。

 

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第1章 身体を“改造”すれば幸せに?

 

■記憶を変えるという”医療”?

 人には心・精神がある。

 だから、地震津波などの大災害、犯罪などで被害を受けたらひどいショックを受ける。

 心・精神が異常をきたすほど傷ついたとき、PTSDになる可能性がとてつもなく大きくなる。

 不幸にもPTSDになったら、カウンセリングや投薬などの治療を受け、「日にち薬」のような時間の経過一種の自然治癒といえますかね。でもそれは「自然災害」だけかも知れません。も手伝って、完治はむずかしくても、限りなく緩和されるかもしれない。

・自然災害

 津波地震、台風、大雨などは、いくら、起こってしまったことの不手際(事前対策)を追求しこんごの対策(事後対策)に生かそうと努力しても、それはそれとしてとても重要なことです→※限りがある。

 限りがあるから、心のうちで「ウンが悪かった…」とか「住んでいるところが危険だとは言われていたよな…」と言って、無理にでも自分を納得させてしまう。

 そういうことをできる人がいれば、できない人もいる。私のようなず太い、ちょっと鈍感な者もいれば、ナイーブな、繊細な方もいる。

※ 古代文明の起こったエジプト、メソポタミア…などはみんな、そばに大河川がありました。たとえばエジプトではナイル川のように。

チグリス・ユーフラテス、インダス、黄河大氾濫が毎年のように引き起こされていたのをみんなが力を合わせて止める、みんなの力を合わせる手段として、「統治」(者)・「都市」・「国家」が生まれたことを想えば、自然災害から国民の生命と財産を守るのは、時代がどこまで上がっても国・自治体(行政)にとってのいちばんの仕事でしょうね。

・犯罪 人間の起こす最大の犯罪としての「戦争」

 しかし、一口にPTSDといっても、著者の島薗さんは、原因となるものが人間の起こす犯罪、国家が合法的に起こす「人殺し」としての戦争をあげ、これと自然災害とを歴然と区別する。

だって、そうでしょう。犯罪、戦争は人が起こす。人が「起こす」ということは「止められる」。いや、止めなければなりません。

「戦争?」「しかたないやぁー。オカミ(国)が決めたことだし…」

 アメリカのベトナム戦争帰還兵が精神の異常をきたしたり、自殺する。そんな昔のことではなく先のイラクやアフガンでの戦争帰還兵も多くの若者がPTSDにかかっている。遠くの例をあげなくても、たび重なる沖縄での陰惨、悲惨な事件の背後にも、荒れ果てた、すさんだ米兵たちの精神があるのではないだろうか。

 戦場での体験は鮮烈なのだろう。人を殺したときの全身の感覚は忘れたり、その記憶が薄まることはないのだろう。それは、その人の人間的な感覚、良心の存在をあかす。人間に「良心」なるものが存在するかどうかはいまは棚にあげます。

ただ、なんども昔みた先の戦争関係ドキュメンタリーで、敵の民間人まで殺した元日本兵のゆがんだ顔と泣いて子どものようにたどたどしく語る震える声を見聞きしたとき、悲しくとも良心はあり、信じていいものだと思った。

 しかしそれは、けっして癒されることはないに違いない。ふだんは記憶の底に沈殿されていても、何かのきっかけでフラッシュバックする。

 人を殺した兵士は、それが国家のため、自国民のため、…のため、とどれほど持ち上げられ、祭り上げられようとも、相手の死にゆく形相は目に焼きつき、絶え絶えの声は耳の奥に残り続ける。何よりもこの手に撃った、突いたときの感触がしみ込んでいる。

 

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 きょうの本題。〈記憶を変えるという”医療”?〉

 著者は危惧する。

 戦争に関連したPTSDで苦しみ、トラウマ的な記憶に悩んでいる元兵士に、近年急速に発展した精神医学や脳科学の成果を彼らの治療にいかそうとしている。

 脳の記憶をつかさどる部分を、何らかの操作を行うたとえば「刺激」を与える。「刺激」の中身は別に薬剤に限りません。電気刺激などもあります。ことにより、軽くする、また完璧に消す。

 こんな治療で、ある意味ではやむを得なかった自然災害被災者だけでなく、ある意味では国にダマされ、しかたなく行った戦場で傷ついた帰還兵士の心・精神がよくなる。ここまでは大歓迎!

 だって、「治療」は立派な「医療」行為であるから。

 

 しかし、一線を越えたら…

 傷ついた帰還兵の記憶を消し去り、リセットし、戦闘意欲を回復させ、再び(こともあろうに)戦場へ向かわせる。ことが可能になる。

 

 現実をゴマかしてくれる麻薬は、痛い手術のときくらいでいい。

 現実がやり切れないほど辛くても精神安定剤は、「医療」を越えないでほしい。

 

                  ちりとてちん

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