カメキチの目
この前、「南スーダン駆けつけ警護」のことを書いた。
「暴力」・「軍事」・「戦争」などは人間の本質に関わるものなのだろうか。
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動物の世界では「弱肉強食」。
力の強いものが弱いものを負かすのは自然の摂理、論理であるといわれている。
が、はたして実態はそうだろうか。
ある日、ライオンが言った。
「弱肉強食?
それは人間が動物たちのつごう(生態)を考えず、勝手につけた言葉でしょ。
私は動物のピラミッドの頂点だと『百獣の王』なんて(人間に)いわれてますが、これだってあなたたちが勝手につけておいて…
私は腹が減ったときだけ、肉を食べざるをえないんです。だって、肉食動物なんだから。
『食う』のは『暴力』ではないです。
(それを『弱肉強食』と言われたぶんにゃー、立つ瀬がない!)」
人間も動物の一種だが、人間だけは草も肉も食う。なんでも食べられる。
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戦争というのは人間があみ出した、「人間にだけ備わっていわれる理性(は~ん!「理性」ね)」が納得する(させられる)もっともらしい(近代以降は法的な衣装をまとった)理由、大義名分を掲げた国どうしの「(正当とされる)殺し合い」。
動物のなかにはメスをめぐってオス同士が争うことがあります。
しかし、その目的はあくまでも「生殖」であり、それを通じて、より望ましいその動物種の「発展」にあります。将来の「進化」にあります。
(けっして、相手を倒す、破滅させることじゃないのです)
だから、相手が死ぬまで争いはしません。
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「武器」というもの。なかんづく、銃と砲弾。
いったい、なんだろう?
親指を立て人差し指を(相手に)向け、残り3本を内に折りまげるのが銃(の形)で、「ババーン」といって、子どものころよく遊んだものです。
そしてまた砲弾といえば、ものさしなどのプラスチックを(そのころはいつも筆ばこに入れていた鉛筆を削る剃り《いまのカッターナイフの前身のようなもの》で削り、それを金属製(当時はそんなのがあったのです)の鉛筆キャップに詰め(さしずめこれが「燃料」。鉛筆キャップは「ロケット」本体)、ロウソクの火であぶって飛ばす(発射)のです。砲弾そっくりでした。ただ、このロケット砲弾は爆発はしません。
考えれば(考えなくとも)銃(猟銃は別でも)や砲弾は人を殺し、人を傷つけること以外、「使用目的」はない。
装飾品として扱ったり、「射撃」とかスポーツ競技に使えますが、そういうことは後から登場したものでしょう。副次の「使用目的」。
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そういう「物」に需要がある、必要とされるということは、いったい、どういうことだろう?
戦争を肯定する(積極的に肯定はしなくても、「やむをえない」と認めるのもいっしょです)人も、銃の所有・携帯を容認する人も、心から思っているに違いない。
「ほんとうは使いたくない」
「他人を殺めたくはない」
人を信頼したいので、私もそれを信じます。
しかし、彼らは、自分自身は信じられても、他人は信じられないのかも知れません。
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そもそも、
人間があみ出した、つくったすべての「モノ」は、遊びを含めて何らかの「使用目的」「使用価値」というものがあると思う。
銃と砲弾。武器というもの。その「使用目的」「使用価値」はなんだろう?
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産業として「軍需産業」というものがある。「軍事」に需要があり、産業として成り立つということ。
いったい、どういうことだろう?
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ここまで考えて、なんか見えてきた気がする。
おおかたの人間は戦争、人を殺す、傷つけることを望んでなんかいない。
平和がいちばんだと思い、平和を願っている。
「おおかた」どころか、すべて人はそうなのだ。
しかし、
戦争とかテロがなければ、その産業は潤わない。潤わないだけでなく、つぶれる。
つぶさないために、武器を製造・販売を続けなければならないのか。
なんか、「手段」と「目的」は入れ替わっております。
でも、武器だろうが「在る」物は、使ってみたくなるんではないか。だって、せっかく高度の科学技術を投入し、高いカネをかけたのだ。
インターネットも、人工衛星も、当初の目的は軍事にあったというし、原子力も初めは爆弾として、大量殺りくの兵器であった。
最先端の科学・技術の研究開発は、一企業でかなうはずはありません。莫大な国家予算(税金)が投入され、回りまわってのちに民間に還元されるのはいいですが、先にありきは「軍事」。なんと悲しい…情けない…。
先のテレビ番組『報道特集』で書き忘れたことを思い出しました。
自衛隊は対ソ戦略で、北海道の北に「対潜哨戒機P-3C」 というのを備えていたのですが、東西冷戦崩壊のあとは必要がなくなり、その後は長い間、流氷を観測するという平和な任務にあったということです。
それが、南で尖閣諸島の問題が起こり、いまは対中という任務を背負わされたとのことです。
ヤレヤレ…
パイロットさんたち。ずっと流氷の観測を続けたかったのではないだろうか。