カメキチの目
(笑わないでください)私は「レガシー」ってスバルの自動車名かとずっと思っていた。
東京にオリンピックが決まってからよく聞くようになった。
先日、テレビ録画しておいた『マチュピチュのミステリーに迫る』を観た。世界文化遺産である。本物のレガシーである。
NHKなのにナレーターが抑揚つけたしゃべり口調で視聴者をあおるスタイルだったので初め、民放のバラエティーかといぶかった。その口調が少し気になったけどすばらしい番組だった。
たくさんのミステリーの「問い」と「答え」にすっかり魅了された。
マチュピチュのインカ文明といえばアンデス地方のインディオの人々。そしてフォルクローレというボリビアやペルーの民族音楽を連想します。
なんでも音律が日本に通じるものがあるとのこと。若いころ、私はいっぺんに気に入り、ケーナという竹で作ったような笛を買ったほどです。
ミステリーの全部がおもしろかったけれど、そのひとつに、なぜ山のてっぺんに「天空の城」、「天空の街」のようなマチュピチュが築かれたか?ということだ。
答えは隣の国の動きを見張るため。戦いに備えてのこと。
ナレーター氏の答えの解説を聞き、すぐに変わった画面のどこまでも広大なアンデスの山々をみて、ツレはため息ついた。
「人間というのは…」
何番目かのミステリーでは、インカ帝国がスペインに滅ぼされたことを聞いて、またため息ついた。
「どこでもいっしょだね…」
彼女のその嘆息に私はひそかにほくそ笑んだ。
これだけの歳月をともに暮らしておれば多少はお互いが影響し合う。
私は連れそったころから、(そのつもりはなくても)自分の在りようは棚にあげて、社会がどうの、人間がどうのと言っていた。今も言っている。
このごろは「トランプ」「アベ」と気に入らない人物を私が呼びすてるのを注意するどころか、彼らがテレビに映ろうものならば、パチッと消すのも認めてくれた。
ただ、やむなくテレビに現れた彼らの姿を認め、画面に向かっての言動はあまりに子どもじみて品がないので、「やめてね」と言われている。自分の選んだ伴侶がこんな人間だったのかと老いた今になってまで思わされるのはイヤだと言う。
ごもっとも。
話がそれた。
他の番組でも、原住民といわれる人々とそこの自然とのかかわりを見聞きする。
マチュピチュなどの文化遺産に思いをいたらせていたら、考えてしまった。
「現代はどんな遺産をのこすのかなぁ?」
それより、東京は何をのこそうとするのでしょう?
「東京」にこだわらず、世界の選手のみなさんたちに福島や三陸を見てもらえばいいのに。
ローアングルの風景(情景?)写真