カメキチの目
「科学技術」のことで最近、三つおもうことがあった。
①国は、「日本学術会議」という日本の科学のあり方・方向を代表する学術機関にばく大な予算を(馬の鼻づらに人参ちらつかせるように)軍事の研究・開発のために誘惑しようとした。
防衛省から助成金が出ます。成果は軍事だけではなく民間にも提供すると言っているようです。
教育(とくに大学)への国の補助金が大幅に減ったせいか、世界的に有名な『ネイチャー』に載るような基礎的な科学研究の論文の数が最近の日本はめっきり少なくなったというオランダの調査会社の報告が、このまえNHKの朝のニュースで報じられていました。
日本学術会議が、そのヒモつき補助金の誘惑に負けるのかと、とても心配だったが、断ったそうだ。
・ひとくちに「科学技術」といっても、正確には「科学」とその応用である「技術」とは違います。
「科学」は地道な基礎研究が主なので長期の時間がかかるし、なにかの真理・法則・原理が発見されても、「それがどうした」という面がつきもので(ノーベル賞の候補対象にはなっても)、早くに実用化されて役に立つというものではないでしょう。
ところが「技術」は科学の応用というところがあります(もちろん、逆に最新技術が急速に進んで科学を塗りかえることもある)。すぐ(とはいかなくても短期)に結果が出ます。(何に対してかは別にして)ともかく役に立つ。実用的。
ところで、
最新の軍事技術に、昆虫をヒントにモデルに開発された、必殺の殺人兵器や探索機器があると聞いて慄然としました。
殺人兵器はもちろん人殺しの用に供するものですが、「探索機器」というのは、相手兵士・武器などを見つけるだけではなく、災害時の行方不明者捜索、宇宙開発に役立つ、つまり民生用に転化できる、応用範囲はさまざま。いろいろ活用できる(と防衛省は言っていました)。
その日のテレビニュース画面に、2008年度のノーベル物理学賞受賞の益川敏英さん(受賞されたとき、笑いながら、私は科学者ですが英語で話すのが苦手と言っておられたのが忘れられません)がいつもの気さくな姿で出られ、インタビューにこたえておられた。ご本人も科学者会議の一員として率先して平和のための科学を貫こうと活動されたらしい。
増川さんは、科学者というのはあくなき探求精神を持っているから、ぜったいだいじょうぶという「盾(タテ)」ができたら、それを打ち破る「矛(ホコ)」をつくりたくなるもんだと笑っておっしゃっていた。
科学技術は、「ほどほど」「いい加減」「あいまい」「中途半端」がよほどイヤなのかもしれませんね。
「白黒けっちゃくをつけてやる」「ムリだということに挑戦するのがおもしろい」という意欲がエネルギーとなり、現代の科学技術文明の繁栄が築きあげられたのは間違いありません。
(が、それがほんとうに幸せなことであるかどうかは別問題でしょう)
② よくいわれるように、科学や技術は客観的なものなのでどうにでもなる。
使うがわの人間の主観・思い・意思(志)が問題なのだ。
私もそう思う。けれど、「人間」一般がいるのじゃなくて、現在の地球は国家ごとに区切られ、わかれているから、具体的にはどこそこの国の人間である。
で、国家は、(ごく一部にそうでないのもありますが)ほとんどが資本主義。
資本主義とはつづめていえば市場原理、利益(利潤)原理、競争原理で動いている。
科学技術は、資本の目的「儲け(利益)」の下におかれている。
「儲け」になる限り、科学技術は進めるところまで進むのだろう。
戦争が絶望的になくならないのは、戦争が利益を生みだすからだ。自ら死ぬことはなく、戦争でボロ儲けするヤカラがいるから。それだけではないにしても、それが根本にあることは間違いないと思う。
そのような原理をコントロールできる国家ができ、経済が政治を支配する現状(アメリカの大実業家トランプが政治のトップになりました。彼が「自国の経済いちばん」というのは当然なんですね)を打ち破らなくとも、ブレーキをかけることができなければ、科学技術が幸せをもたらす方向には働かず、いずれ原子爆弾を破裂させる気がする。
こんども日本は唯一の被爆国でありながら、核を持っている国とともに、国連の「核兵器禁止条約」に批准しなかった。
恐ろしい…
③ (私が知らないだけかもしれませんが)飛行機の運航が、空や気象といった自然分野の未解明部分、それと飛行機の飛行との関係の究明など、安全面への努力は途切れることなく続けられても、(あまり必要性がないのか)スピードをこれいじょう高めようとはしていないように、(飛行機の速さ以外にも探せばいっぱいあるのでしょう)ある分野、モノには「限界」を設ける、きっぱり「あきらめる」ことが必要じゃないか。
「人間改造」「デザインべビー」につながりそうなバイオ・医療なんか最たる分野だと思います。
そして、ある分野、モノの進化がなにを意味するのか、それが人間という生物をほんとに幸福にするのだろうか?
人間の一生でいえば峠のようないちばん高いところに立って、来し方を見つめなおし、行く末を見つめなければならないではないだろうか。
坂道を、前ばかり向いてのぼり続けるのはどうか…
障害で遅々としたスピードのうえに、(頭を打たなくても)もともと悪い理解力ですが、それでも退職後よんだ数冊で、強くつよくそれを感じています。