カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.5.18 エピクロスの言葉

                                                  カメキチの目

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 先日のこと。

はてなサン」から知らせがあった。それはきょ年やおとどしのあなたの記事をふり返ってみませんか、というもので、1年以上やっている方には「ああ、アレ!」とおわかりいただける。(アレです)

 一瞬、面倒くさいなと思ったがめげず、ためしに2年前のヤツを見た。

 その記事は、「死」について古代ギリシャエピクロスの言葉だった。大好きな仏教家(坊主ではありません。いちおう仏教学者で、ご本人は「仏教者」と言われています)ひろさちやさんの本に載っていたものを読んでの私の感想だ。

 

 いま、これを見て(読んで)思った。ちっとも自分の死生観は進歩していないなあ、と。

 でも、「これでいいのダ!」

「真実は、美と同じくシンプル」

 あれから2年たったが、自分なりに触れた死生観の言葉。なかには気にいったのがあったが、それらはけっきょく、「言いまわしは複雑、長く、違っていたが、別な言葉に置きかえただけ」のような気がした。

 

                  ちりとてちん

 

ちなみに、2年前の記事というのは下のとおりです。

(ここでひろさんの言葉「インドに生まれりゃよかった」がありますが、つい先日、ずいぶん前から気になっていた遠藤周作の『深い河』を読みました。

最後の方で、聖なるガンジス河のほとりで繰りひろげられる庶民の「生」と「死」が同居したふつうの姿と、それまで描かれた日本人の登場人物たちの生き方とが交差し、ひろさんの「インドに生まれりゃよかった」を実感した気分になりました)

 

 

世界は広い。世の中は私の知らないことに満ちあふれている。

【言葉】それを知っているか知らないかでは決定的にちがう、重い言葉がある。

 たとえば、エピクロス古代ギリシャ哲学者)の次の言葉はそうだと思う。

 

 「死はわれわれにとって何ものでもない」

 

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 要は、死についてあれこれ悩むことはないということだ。生きているときは死んでいないし、死んでいるときは“死”を思うことはできない。

 私は死ななかったけれど、突発的な事故に遭った貴重な体験からも、エピクロスの言葉にはすなおにうなずく。

きっと“死”はいつの間にか私たちのもとにやって来て、安らぎを与え、包みこんでくれるものにちがいない。

 ブランコの心地よい揺れみたいに。

 そう思えば、“死”は気楽なものになる。

 

 この言葉。じつは、大好きな仏教学者ひろさちやさんの文庫本に載っていた。仏教では、“死”は忌むべきものじゃない。生きることは死ぬこと。“生即死”なのだ。

 ひろさんは言う。現代の日本の病院では患者を医療づけにし、“死”を怖いものにする。

「インドに生まれりゃよかった」とも。

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 そうか…。古代ギリシャとお釈迦さまはつながっていたか。人の思うことは、地球のどこにいてもいつ生きていても、だいたい似た考えになるものかもしれない。

                      

                           

                  

          

 

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