カメキチの目
いま、書いておかなければならないと思いあわてて記事にした。
まだまだかもしれないが、長く生きてきて、私はこのごろ日本の自然の移ろいに敏感になったようだと、自己満足している。
あくまで「自己満足」。
だからどうした?ということではないが、「自分」にこだわるのもいいけれど、そこを離れて自然を感じるのも、「感じている自分」を感じて、またいいと思った。
季節は盆を過ぎた。
盆前には二四節季の「立秋」があるし、七二候の「寒蝉鳴(かんせん《ひぐらし》なく)」があった。
台所には「旧暦カレンダー」を吊りさげていますが、二四節季七二候の日はたいてい合っており、昔の人の自然を感じる感覚にはおそれいります。
ちょっと静かなときが増えたけれど、まだ蝉がないている。「シャアーシャアー…」
まるで樹から音が「降ってくる」感じ。
ことしの自分が見聞きするのは、ほとんどがクマゼミ。
これまでの中心はアブラゼミでした。もうツクツクボーシやヒグラシも出たと思うのですが、そっちは林や森。いても、街路樹ではクマゼミのうるさい(クマさん、ゴメン)なき声に消されてしまいます。
「シャアーシャアー」もそれなりに風情はあるのですが、「風情」という情感は歴史的(とまではいわなくても)に長い時間をかけて人々に育まれる自然が生みだす心地よい感情だと思いますが、クマゼミは近年、短い間にあまりに急激に増えた。その勢いたるや、まるで日本古来種を駆逐する外来生物のごとくです。
きょ年までは、クマゼミに押されぎみでも、アブラゼミの「ジィージィー」という木から「湧いてくる」感じもあった。
ましてや近くの林や森を抜けて仕事に通っていた4、5年前までは交通量の多い幹線道路の街路樹ではシャアーシャアーが圧倒していても、林や森にいけばジィージィーの天下だった。でも、同じ関西でも、西のほうに行けばすでにクマゼミが勝っていた。
いよいよここまで来たか!
地球の温暖化と関係あるのかもしれない。
ミカンの北限がだんだん上がっているというし、海水でそのうち島が消えるのでは…ヒマラヤの氷河が解けてきて新たな湖が生まれ、それがあふれて麓の人々が被害を受けたり…。
先日も、異常気象による大雨で土砂災害で日本だけでなく南アジアでも、多大な被害が出た。アフリカではひどい干ばつが続き、多くのいのちが失われている。
という現実があるのにトランプは、地球温暖化をくい止め地球上のすべての生命を未来にも存続させるのために、多くの国々が力を合わせて取り組もうとするパリ協定を脱退した。いまのアメリカ、いまの白人だけがよければそれでよい、あとは野となれ山となれ…
クマゼミがセミ界に君臨するのは時間の問題のような気がする。でも、クマゼミはトランプではけっしてない。
それでもいまは東、北はまったく違う。
4年前の夏、松本城に行ったとき、ミンミンゼミがたくさんないていて、なつかしくも嬉しかった。
※ミンミンゼミ グーグル画像さんから
お借りしました。
ありがとうございます。
住んでいるところでは、もう10年以上も前から、「ミィーンミィーン」は、夏も終わるころ、9月に入り、しかも山の奥のほうから「孤高」という言葉を想わないではいられない一匹のなき声として聞えるだけ。
心に沁みいります。
いままでも書いていますが、この夏も書きます。
- 八木重吉 -
蟲が鳴いている
いまないておかなければ
もう駄目だといふふうに鳴いてる
しぜんと涙がさそはれる