カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.9.17 つれづれの記⑪

                                                  カメキチの目

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 【続き】

 

[暮らしと人びと③]

 

昭和30年代。初夏のころ。

稲の苗が伸び、田んぼいちめんが緑に覆いつくされたころ、突如、空からバリバリ耳をつんざく轟音が聞え、ビックリ!

音の主は? まさか戦闘機であろうはずがない。

では何か?

ほとんど見ることもないヘリコプターだった。しかし、災害が起きてはいなかったので、救助ではなさそう。

では何のためか?

稲の害虫を防ぐため、農薬を散布するのである。

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大規模な農地ではあれば空から「いっせいに」というのも効率上、うなずけます(アメリカでは小型飛行機で種をまいているところをテレビでみた)。

日本のいまのばあい種ではない。農薬。れっきとした危険薬物だ。

小さなたくさんの水田が散布目標なのでピンポイントというわけにはいかない。的確に目標を狙い、たとえ当たったとしてもヤッコさんは爆弾や鉄砲玉ではなく農薬の粉。粉霧状の白い煙となり、風に乗って流れ、漂う。行き先は神(いや風)のみぞ知る。風まかせ。

とうぜん水田だけでなく畑や、まわりの川や原っぱ、人びとの暮らしまで「いっせい」に粉だらけ(戦後すぐのこと。ノミ・シラミ対策に噴霧されたDDTみたい)。

もちろん人体に害が発生しないまで希釈したものが散布される。害虫「駆除」が目的だ。「駆除」というと聞こえが穏やかであるが、ここでの「駆除」は「殺す」ことをさす(農薬は「毒物」である。いくら希釈、薄めてあっても臭いは残り、鼻をつく。ヘリコプターのあとは臭かった)。

稲にはできるだけ害を少なくしなければならない。こっちが、害を受けたら元も子もなくなるので当事者・関係者はさぞかし気を遣われたことだろう。

それに、「空中散布」とは直接関係ないが農薬は殺人にも使われた。他殺ばかりじゃない、自殺にも(私の伯母のひとりはこれを使い死んだ)。

水生昆虫やタニシ、ドジョウなどが激減した。絶滅寸前かすでにしたかで、それまでよく触ったゲンゴロウタガメなども、しばらくしてからまったく見かけなくなった。川ではホタルの幼虫が好むカワニナというマキ貝が激減。おかげでホタルもほんの少ししか見られなくなった。

最近、日本では絶滅したかと思われていたカワウソ(38年前、高知県の川で見られたのが最後)が対馬で発見されて大きなニュースになりましたが、私の故郷からそんなに遠くない村には「カッパ伝説」があり、その「カッパ」の正体はじつはカワウソでした。

 

現代では‐農薬はなるべく減らす、やむなく使用するならなるべく害の少ないものにする、できれば使わない‐は常識。

無農薬、有機肥料で育てた野菜や果物が‐それを食って育ったウシやブタなどが単に安全ということだけではなく、おいしくいただける‐も常識。

 

ところが、

高度経済成長のこの時代は、農薬の恐ろしさだけではない。

ここまで農薬を「悪者」のように言いましたが、「薬」は両面を見なくてはなりません。私たちが服用する薬と同じ。

使い方をまちがえば副作用が出ることもあるし、ある人には効果があって別な人にはなかったり…

(なにも「安全軽視」ではないでしょうが)ともかく「効率優先」。

「効率優先」こそが、この時代を解き明かすキーワードにちがいない。

「効率優先」ということは、本質的に「経済優先」(ですから現代にいたっても変わってはいませんでした)。

当時は露骨・ぶしつけなソレでした(高度経済成長時代。札束をチラつかせ、なんでもおカネで欲望をかなえようとする日本人の一部は、「エコノミック・アニマル」と呼ばれ、揶揄された)から、現代はソフトな「効率優先」「経済優先」に変わってきているのでしょうか。

「格差」のひろがり、「ブラック」な働き方のひろがりなどを思うと、「ソフト」どころかより露骨に経済の牙がむかれてきているのかもしれない。

ITなど、上っ面だけ「進化」して。

 

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 みごとな段々にみごとな曲線。

これに夕日が映えるなど周囲の景観の美しさがくわわれば、私の故郷も「日本の棚田100選」に入っていたかもしれない。

実際は、いまから書く大規模な田の「圃場整備事業」が行われなかったなら、「段々」と「曲線」だけクリアしたかもしれないですが、なんせ全体の規模が中途半端…

 

それには、中学生だった私は驚いた。

学校帰り。狭い道路にダンプが行き交い、田んぼにはブルドーザー。「へっ! 田をつぶすのか」

当時は少年だったからか、単純に「大きいことはいいことだ」(なんかCMで聞いたあるような文句?)「広いことはすばらしい」と思っていた。

ちまちまと鍬でしか耕せない、せいぜいが耕運機。近代農業を象徴するトラクターなどは入ることさえムリな小さく、曲がった何枚もの田んぼ。

そこにブルが畦などものともせず入りこみ、田んぼと田んぼの境、畦を消しさっていた。

田んぼをつぶしているんではない。ひろげているのだ。いや、まとめている。合わせているのだ。

少年の私は、単純に「スゴイ(すばらしい)!」と思った。

心の内で叫んだ。「近代化バンザイ!」

「近代化」というのは教科書の言葉でしか知らず、それの意味も意義もわからないのに。

畦のグミの木も、幼いとき手の届かぬ枝のぶんは祖母にもいでもらった思い出とともに消え去った。

 

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小川と呼ぶにふさわしいほどの小さな川は、護岸工事で急激に姿を変えられ、あげく流れも変えられた。

別に集落の誰かが「氾濫のおそれがある、改修工事をしてくれ」と行政にかけあったのではなかろうが(氾濫したことなどなかった)、あっちから「氾濫してからでは遅い」と考えてくれたのだろうか。

う~ん…。行政側の「善意」を信ずるべきか。裏になにか隠れていると疑うか(たとえば土木業者とつるむ政治家ヤロウの存在とか)。悩みます(悩まんでもいいか)。

 

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これは私が中学を卒業してからのことだが、曲がりくねった狭い道路も、改修された川に沿って真っすぐにされたり、車が離合できるように拡幅された。

  

〈続く〉

 

                  ちりとてちん

 

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