カメキチの目
【続き】
「少年時代」といわれるころの話で書きたくなるのはもう思いつかないので、このシリーズはこれで終わります。
これまでの「子どものころの思い出」におつきあいくださり、ありがとうございました。
私の子ども時代。チャンバラとおなじくらい「西部劇ごっこ」が盛んだった。
片手の親指を立てて人差し指を相手に向け、残り3本は手のひらに折る。これで銃は完成。いっちょまえのガンマン成立。
ちなみに両手で2丁拳銃。刀でいえば両刀づかい。
あとは木陰や家の隅に身を隠し、やるだけだ。
「バキューン、バキューン…」
本気で遊んだ。
撃たれたときは、刃で切られたときのように、地面に伏す。「死ぬ」とはこういうもんかと幼い頭で描いたイメージで演じました。
遊びのたびごと、何回まで生き返られるか(遊びの世界では死ぬことは一度かぎりときまってはいません《それじゃ遊びが続かない》)不死身を認めるか…。子どもなりの遊びのルール、約束事が遊び仲間みんなで決められました。
ものごとの遂行に、「ルール」「約束事」がだいじなものであることは、遊びを通し身を持って味わったものです。そうしなければ、遊びがおもしろくない。楽しくないからです。
「強行採決」、「大義なき国会解散」というルール破りが平気で横行する国会。与党のみなさんは仲間と遊ばなかったのだろうか?
西部劇にはカウボーイと保安官、それにインディアンがつきもの。
ちなみに遊び仲間の中で私はいちばんの色黒だったので、たいていインディアン役だった。
そこらの地面に落ちていたニワトリ、カラスの羽根を拾ってきて、頭にヘヤバンドみたいなシャレたものはまだなかったので藁クズを頭にまいて羽根をさし、ちょっと得意げにカッコウを決めました。
(グーグル画像さんからお借りしました)
「インディアン」はいまでは「ネイティブアメリカン」のことだが(アメリカ先住民)、差別用語ではないのだろう。
しかし、私たちは「土人」(「どじん」)とも呼ぶことがあった。こっちは完全なる差別言葉。
若い方は聞いたことさえないかもしれない。
本来は「土着の人」「もともとからそこへ住んでいる人」「先住民」の意だから、なにも差別用語ではないけれど、差別が平然と通用した社会では、差別する言葉として長い間つかわれた歴史があるのだろう。
(土着の人ということでは農民もそうなります)
実際には、「原住民」というイメージで、あとから入ってきた「開拓者」「征服者」が自分たちは「文明人」。きさまらは「未開人」と蔑んだ言葉です(私たちの遊びでは「インディアン」がそこに含まれていた)。
黒人を「クロンボ」と呼ぶのは明らかな差別で、「クロンボ」も「土人」とともに使われました。
南洋の原住民の女の子をかたどった「だっこちゃん」という愛らしいビニール人形(おもちゃ)が昔はやったことがあります。いつのまにか見かけなくなったところをみると、黒人差別につながるということになったのでしょうか。
「めくら」という言葉は盲人、つまり視力障害者。「おし」や「つんぼ」というのは聴力障害者(これらは完全なる差別用語)。いまは、古い映画のとき初めに字幕で「…適切でない表現がありますが…」と出てきます。
ところで、
私の集落のそばには、私の実家よりひどい「あばら家」で、もっと小さい家があった。住人は朝鮮の方だった。父が仕事の付きあいがあったので少し覚えている。ちょっときれいな姉妹がいた。学校の成績もよかったらしい。
いつの間にか彼女たち一家がいなくなっていた。こっちはまだ小学生だったので、それがいつのことだったのか覚えていず、ましてや理由も知らないが、きっと、朝鮮の人たちの祖国への帰還(帰国)事業が国交のなかった北朝鮮との間で1959年から1985年にかけて行われていたとのことだから、いまも生きておれば、北朝鮮での貧しい、自由のない暮らしに、こんなことになるのなら少々の差別があっても(あってはならないが)日本におればよかったと思っておられるかもしれない。
子どもの場合、ほとんど絶対的といえるほど大人社会に洗脳される。
大人のすること、考えることは絶対的で、それ以外はありえないので、教えこまれる一方。
大人が「こういうこともあるよ」と選択させてくれなかったら、それしかない。一つしかない。
目的のため手段を選ばないISたちが「子ども兵士」をつくりあげ、テロで自爆すれば天国に召されると刷り込む。
子どもの私はすなおに信じていた。
インディアンは、保安官が懲らしめ騎兵隊が蹴ちらす「ならず者」(「ならず者」と、ブッシュに続いてトランプがかの国を罵っています)「悪者」。
子どもだったころ単純に、西へ西へとフロンティアを進めていく白人は、私には「正義」だった。
苦難に耐え汗を流して自らの土地を広げる開拓者たち。
私の子どもたちがみていた大人気テレビドラマの『大草原の小さな家』。
こっちが子どものころ流行の西部劇『ボナンザ』『カートライト兄弟』など。
どれも歴史という目をのぞけば、すばらしくヒューマンな感動作品だった。
私はとっても感動したものです。
すばらしい! なのに、不意打ち、奇襲するインディアンはやり方がきたない。正々堂々と戦えばいいのに…
なんにも知らない、どうしようもバカでした。こんなバカに誰がした?
竹ヤリで柱を「鬼畜米英」にみたてて突く戦前の国民となんら変わりません。
先の戦争で必要以上の大きな犠牲を出すまで負けを認めなかった日本。
最後は「神風が吹く」とか「天皇陛下万歳」、敵が日本へ上陸したら竹ヤリで突いて殺せばいいと本気で思っていた日本人。
北朝鮮の人たちがテレビ画面で「水爆実験が成功して、自分の人生でいちばん嬉しい!」と意気込んでしゃべっているのをみると、(それはテレビの「演出」とか、ごく一部の金王朝《独裁者と取りまき》からなんらかの理由で優遇されている民衆にすぎないのかもしれないが)とても悲しくなるけれど、かつての日本を想像する。
子どもは「無邪気だなあ」ですむが、大人になればそうはいかない。
大人になっても、子どものように世間で「いわれている」ことをただ信じる(子どもだった私が「インディアン=悪者」と信じていたように)だけでいいのだろうか。
「いわれている」ことを自分の頭で考えようとしない限り、知ろうとしない限りわからない。
考え、知ってもわからないかもしれない。
でもたいせつなのは、「わかった!」で終わるのでなく、問い続けることだろう。