カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.10.8 『内田樹の生存戦略』①

                                                  カメキチの目

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 すばらしい本に出あった。めったにあることではない。

 もともと著者の内田樹さんは気に入っており、いままでも何冊か読んでいるが、これは人生相談のような体裁で、身ぢかな「悩み」「問題」に内田樹が答えるというもの。

 この人ならではの答えがとてもおもしろかった。

あまりにおもしろいので、「読んでみたら…」とツレにすすめたけれど、「リンパ」(リンパ腺とかの)の本を読んでおり、「そっちがおもしろい」と返された。

(リンパよりおもしろいのに…)

 

リンパがあろうとなかろうと、記事にしたいと本の読み始めからそう思いました。

(前にも書いたことありますが、内田さんはご自分のブログ記事も著作も、「著作権」を主張しないから自由に使っていいと、何かの本で述べておられたので、遠慮なく引用し、間に私の思い考えも挟んで紹介します。ただしQアンドAは、私の心に残ったものだけに絞ります)

 書名は『内田樹生存戦略

 

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Q

就職活動中なのですが「何やっとけばいいんですか?」

 

A

自分にあった職業、適職は求めて得られるものではありません。

したがって、これをやっとけばいいというものはないです。

あなたは「賢い消費者」になろうとしている。賢い消費者というのは、価値ある商品を最も安い代価で手に入れるもののこと。最低限の学習努力で、大学でほとんど授業にも出ず、レポートはネットからコピペして、…60点でパスできる試験でうっかり70点取ったりしたくないから。

そもそも仕事というのは、「もののはずみ」でその職に就き、夢中でやっているうちに気がついたら何十年か経っていた…もの。

 適職というのは本人の「努力」とは無関係。

仕事を探すにあたって、何が自分に向いているのかということを基準とするのはどうかと思うんです。

自分が何を望んでいるのか何が好きなのかというのと、「適職」というのは次元がちがうのでは。

 

 私も自分の体験からまったくそう思う。

 いちおう、就きたい職業、やってみたい仕事はあった。が、思うようにはいかなかった。

 で、早いうちに世帯をもっていたので家族を食わせなければならない。

(もっとも共働きでツレの方がずっと稼ぎがよかったが)

ともかく2、3年は「探してみよう」と短期就職したり、アルバイトをした。

どの仕事も就きたい仕事ではなかったですが、知らなかった仕事の世界であり、学ぶことが多く、おもしろかったです。

ほんとは、もっといろいろな仕事を体験してみたかった(いろいろな仕事をコロコロかわっても生涯安心して食えればいいですね。ひとところで辛抱し、腕をみがく職人的な働き方もすばらしいですが、「長続きしない」「三日坊主」「根性が足りん」という問題ではなく《それがあろうとも》、多様な体験をしたいというのもアリだと思います)。

 その後、生涯の仕事になるものに出あったのはひょんなこと、「もののはずみ」にちがいない。

 

 気がついたら、そこで長く働いていた。もうすぐ「30年永年勤続」という前に木から落ちた。

「もののはずみ」ではブログなんかやっておれなかったかもしれない。

 ということは、みなさんにお会いできていなかったかもしれない。

 

前に『バカの壁』の養老さんが何かの本で書いておられたのが忘れられない。「仕事」というのは突きつめれば道路の穴凹を埋めるようなものだと。

どの穴凹を誰が埋めるのが適切か。そんなのわからない。それはわからないけれど、誰かがどこかの穴凹を埋める。みんなの道路を歩きやすくする。社会の役にたつ。仕事も立派な社会貢献( なにも「寄付」だけが社会貢献ではないのですね。それに、「仕事」とは何なのか?社会の役にたつ」といったって、「社会」とは何?「役に立つ」とは何?という根本を問わなければならない。私にはわからないけれど、「生きる」ことそのものが尊いことだけは確かなことだと信じている)。

 

                   ちりとてちん

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