カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.10.26 立山

                                                  カメキチの目

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 山へ行った。

いちおう結婚〇〇年の記念旅(二泊三日だけど半分は二人の義姉といっしょ)。

 

  

 この前、黒部とともにNHKテレビ「ブラタモリ」で放送された立山である。

 登山ではない、観光。

 正確には「室堂」というバスの終着地の平らなところを歩き、山々を見あげた。それと「弥陀ヶ原」というところを歩いた。

観光客は「室堂平」という台地状の平地から立山連峰をはじめ周囲の高山を見あげ、その辺り、「みくりが池」や「みどり池」という自然湖の周囲を歩くのです。

(50代の初めのころは「登山者」にもなりました。室堂から立山連峰に登り、尾根歩きをしたこともあります。そのうち憧れの山、となりの「剱岳」に登るつもりでした。が、人生はわからないものです《山から滑落する前に木から落ちてしまった》。いまでは「滑落」さえできなくなり、剱のギザギザした岩嶺をあおぐだけです。トホホ…)

 

 4度目の立山だが、今回は老年に達したこと、身体障害者になっていたこともあり、強く感じることが三つあった。

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(当日はこんなに天気がよく、みくりが池に「逆さ立山」が映ってくれました。ありが

 たや…と天に感謝するほかなかったです)

①初めてここを訪れたのは、子どもたちが小さいときの家族旅行。2度目もそうだったが、年月が流れており、上の子たちは家を出ていたので末っ子だけを連れて。3度目は私ひとりの登山。そしてこんど。

 

 旅ずきであちこちを訪ねた。多くはないが山を登った体験もある。

 が、「立山」のすばらしさは格別。こんどの旅で、それをあらためて感じた。

 私のなかでは(健康やダイエットの食品、薬の宣伝と同じく、あくまで「個人的感想」です)、これほど雄大な山岳景観はない(もちろん比較なんか無意味ですが、富士山に勝っていると言いたいほど。もっともこれは登山者としての感覚と思います)。なんせ、いただき三つが連なって一つの山をなして屏風のように屹立しているのだ。

 

②平衡障害でフラフラ。視界は動く(「静止」とを繰りかえす)たえずツレに手をとられ、支えてもらう。

 弥陀ヶ原は室堂とはちがって草原、林を歩く。植物保護のため木道が整備されている。その木道。杖をついてもフラフラするので、中国映画のキョンシー(観たことはありませんが、背後霊の一種のようなイメージをもっている)のように彼女の背後から肩に手をかけ、歩幅は狭く、「オイチニー、 オイチニー…」とゆっくり歩く。ときどき立ちどまり、視界の落ちつきを待ってあたりにカメラを向ける。

 なんとも情けない歩行で、ちょっとミジメな気分になる(ですが、大きな感謝を胸に抱き)

 

③義姉のうち上の姉は山が好きなのだが、もうひとりは違う。ともかく「ゆっくり」「のんびり」がいいのだ。

 義姉たちとは一日遅れで下の弥陀ヶ原で合流したのだが、たったの15分間バスに乗れば上の終着地点室堂まで行けて立山連峰の絶景を目にできるのに、下の義姉は行かなくていいと言う。

もちろん私たちは前日すでに立山連峰の絶景を見ているのでいいのだが、それにしても「もったいない…」と、私はウジウジ…といつまでも思った。

 ところで彼女の姿に、2度目の家族旅行のときの末っ子の姿が重なった。

 当時も今回と同じく辺りの景色に息をのんでいた私たちだったが、娘はこっちほどは感動していなかった。

末っ子の「役得」で、彼女だけ私たちと旅行することが他にもありましたが、行き先が山などばかりだったので、だいたい同じ姿だった。連れて来甲斐がなかった。もっとも大きくなっていたので「家族旅行」などイヤだっただろう。付きあうことが「親孝行」と思っていてくれていたのだと想うと、その健気さが愛おしくなった。

 

 それでつくづく思った。 ー なんでも(ここがたいせつ)人はそれぞれということ。

「私は」こう考える、こう思う、こう感じる、といっても、それは個人的なことなのだ。

 そういうあたり前の事実をあらためて強く感じた。

 

 とかく私は自分がこうだと感じたり、思ったり、考えたりすることを、他の人もそうだろうと勝手に思いこんでしまうところがある。

 気をつけなければならないと思った。

しかし、他人に共感、同意などを期待する、求めるのは「社会的な動物」、群れをつくってしか生きられない人間の自然なあり方かもしれないとも思う。

 

                 ちりとてちん

                     

 

 

 

 

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