カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.12.6 続・老人がキレる

                                                  カメキチの目

f:id:kame710:20171029114701j:plain

 

 

(「怒り論」を書くわけではありません)

■ 私は「怒りたい」ときは怒ったほうがよいと思う。

   怒るべき(と自分が感じる)モノゴトのときは、怒ればいいと思う。

それでも、「激昂」や「キレる」という情動まかせの行動は、こっちの言いたいことが相手にきちんと伝わらないのでよくないと思います。

それに「ヤツ当たり」も。

でも「怒る」のには、エネルギーがいります。それを覚悟してのぞまなければならない。

(くれぐれも「怒ってソンした…」とならないように)

                          f:id:kame710:20171203151417g:plain

 

 年齢を重ねてきたので生理的には脳も老化しているのだろうが、(「老化」は認めるけれど)個人的感想としてはむしろ怒ること自体は少なくなったように思う。

【余談】

その「脳」というものについての考えが、さいきん大きく変化することがありました。

 ↓

いまNHKの大きな情報番組、シリーズの「人体」というのを視ています。

その番組は、最近のミクロの世界をのぞく技術の飛躍的な進歩により人体各部のようすがより細かく観察され、身体全部をくまなく巡っている血管、血液の流れをとおして脳や各臓器、筋肉、骨などがお互いにネットワークのようにつながり、お互いが相互に影響しあっているようすが劇的に描かれていました。

(従来は、人体各部すべては脳が神経を通じてつかさどる、コントロールする、脳が「司令塔」として君臨する構図が一般的にいわれてきました)

番組は「人体」について明らかにされた最新の情報を伝え、これまでの私たちの描いていたイメージ、構図を一変するもので、私もとっても驚きました(詳しくは番組をご覧ください。いまはシリーズ途中ですが、すばらしい番組なので再放送があると思います)。

で、私の「ビックリ一番」は、脳はけっして「司令塔」、「参謀」ではないということです。

 ようするに、「寛容」になったわけ。どうでもいいようなことにいちいち腹を立てない。

裏がえせば、つまらない(と思うことに)怒りのエネルギーを使うのがもったいない。

(ただし、《あとから書きますが》私にどうでもよくないと感じられることはスゴく怒ります。腹がたつ)

 否定的にいえば「鈍感」になったということ。

でも「鈍感」が否定的とはいえません(「鈍感力」を褒めたたえる本も出たよう)。

 

逆に「鋭敏」になったこともあります。

たとえば、歳をとると感動しやすく、よく涙腺がゆるむという。

私は小さな親切、やさしさなどに若いときよりずっと感じやすくなった。障害者となってからは親切をうけると、その方の背に手を合わせたくなる。

反対に、(戦争や格差など社会的なことだけでなく)災害、事故、いじめ、自殺…などで人(とくに子どもや若者 人ではないが動物も)が死傷することに、加害者・加害勢力などにひどく腹がたつ。怒りの感情にとらわれます。

 

■ 先日の朝日の『天声人語』に、日本では信号機のない横断歩道では停まらない車が多くて、身の危険を感じたという外国人の感想が載っていた。

 信号機がなくても、渡ろうとしている人がいないかどうかをドライバーは確認しなければならない。

 そのためには徐行(ちなみに「徐行」とはどんなときでも停止できるスピードと、自動車学校で教わります)しなければならない。

数年前、私の従姉妹は横断歩道を渡っていて車にはねられ死んでしまいました。愛妻が亡くなった寂しさでダンナさんが体調を崩し、彼も死んだ。

横断歩道の手前でスピードを緩め、歩行者の有無を確認し、いたら停止するのは交通ルールです。なのに現実はドライバーの「常識」・「交通道徳遵守意識」・「品性」・「民度」まかせ。

多くの人々の怒りをかった先日の「あおり運転」。よく聞く「飲酒運転」…

交通事故は起こそうとして起こしたわけじゃなく、窃盗や強盗や殺人事件などの凶悪犯罪とは違う…のでしょうか。

 

 ともかく危険きわまりないので、その外国の人は(逆にルールを変え)日本は「車優先」と高らかに宣言すればいい(ジョーダンではありません)という。

オリンピックも控えた日本で、海外からの観光客がもっともっと増え、(コンビニの店頭に並んだエロ雑誌のほうは、このところ大手の小売り業が相次いで対策を講じているようですが)信号機のない横断歩道を渡っていた〇〇国の人がはねられたというニュースが大きく報じられるまでは、警察も行政も動かないのですかね。

 

 このコラムに、信号機なき横断歩道のドライバーの傍若無人ぶりに常ひごろから(自分がドライバーであったときも)腹をたてている私は深くうなずいた。

ときどき、「はねるのならはねてみぃ」「ぶつかるならぶつかれ」とキレる。ふだんの自分ではない人間に変身し(そっちがホントの自分か?)、信号なき横断歩道に踏みだそうとする。

大ケガ(もしくは死)する自分はいいにしても、後始末させられるのは自分ではない(「バカはやめて!」と言われたことどれだけあったことか。引っぱられて命拾いしたことが数度はある。命は一つしかないのに。ゴメン!)。

こういうバカをする己をみると、やはり脳は「生理的老化」の道を歩み、確実に私の脳は影ができているにちがいない。

 

もう一つの話もこれを裏づける。 

■ 私は再三かいているように、テレビに安倍の坊っちゃんやトランプのおっさん、北朝鮮のバカ息子が出るとパチンと消すかチャンネルをかえる。

ホントに気分が悪くなる。

(が、これは「キレる」の別な表現だろう。そうやって怒りを「隠す」、「逃す」、「ごまかす」「ゆるめる」…にほかならない。でも、己の無力だけを感じさせるものには当面バリアを張り、近づけないのが賢いやりかたかもしれないです。チャンネルOFF、CHANGEは当面は有効かな

 

                   ちりとてちん

<