カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.1.  旅と「波」

                                                  カメキチの目

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 また小さな旅に出た。

「よくもまぁー、タビたび…」が、口にはだしませんが子どもたちの内心だと思います(呆れられているのかも…)。でも、旅先も道中も若い人の好みそうなものではないので、うらやましがられることはありません。

その証拠にこっちが旅行写真をだし「見て、みて!」と言ってもあまり乗り気ではなさそう。しかたなく(義理で)見ていることがアリありだった(で、今では初めから言わない)。

 

 山のつぎは海と決めているわけではないが、こんどは海だった。

 きょ年の晩夏、海に行った。そのときとそっくりの場所で、そのときとそっくりの過ごしかたをした。

 

 列車に3、4時間ゆられるが、車窓には釘づけになる。

別に、旅の費用と天秤にかけ、この景色を見なければもったいないと思うケチではないけれど、次つぎと変わりゆく、移りゆく風景は目に焼きつけたい。

みんな「一期一会」の出あい。

海辺の街、漁村、小さな漁港、漁船、干された魚網、浜に引き上げられたボート、波打ちぎわの海藻、湾のあっちこっちに浮いたブイ、ブイとブイをつなぐロープ、岬の灯台、かっこうのよい島々、険しく張りだした岩、鋭く切れ込んだ崖、海岸林、カーブが連続する道、トンネルが多い線路、海の反対には山、茶畑、ミカン畑…

(隣でツレは編み物の「内職」。私の「世話」もあって疲れ、ときどきコックリ…)

 ああ、ここにも人が住んでいる、生活しているんだなぁと感慨がわいてくる。

 そう感じられるのが私の旅の醍醐味。

 

 列車は特急なので、主要駅しか停まらない。

「主要」とはいっても、路線全体が人の少ないところなので(そのぶん自然は豊かに残っています)駅に着くたび、数人しか乗り降りしない。どんな人が降り、どんな人が乗ってこられるのか注視はNO。失礼のないよう、そっと)見る。

 ネーチャーウォッチングだけでなくマンウォッチングも楽しい。

 

 宿は小高い山の上にあり、海を見おろす。よく眺望を売りものにした旅館・ホテルなどがあるが、ここもそう。

 雄大な海を眺められ、天然温泉もあってこの値段。

 庶民的な料金で泊まれるのが嬉しい。

そうでなけりゃ、年金暮らしの年寄りは泊まれない。

 

 宿の周りにはうっそうとした森林がある。

 森をぬうよう小道が、危険を避けて整備されている。

 雨ならば(雨でなくとも《笑》)温泉三昧なのだが、きょうは天気はよく、3時間ほどは散策。

 歩いていると海を眺める展望所に出る。いまは枝葉がうっそうと茂っており、眺望はパッとしない。が、昔はそうではなかったのだろう。さぞや海のすばらしい景色が望めたに違いない。

 また、かつてはこの石垣を土台にして家か何かの構造物が建っていたような建物跡に出あう。

こんな風光明媚なところで、朝な夕なに陽を拝み、夜は満天の星を眺められたらきっと浦島太郎の気分だろう(舞いおどりとご馳走はいいです)。

 いまは冬なので、セミの声は聞こえない。ヒヨドリの鳴き声を聞き、飛んでゆくのを追うくらいだ。

 樹木といえば、海辺の森は落葉しない常緑樹が多い。逆光を浴びた葉っぱ、枝のシルエットが魅力的。初心者むけの安物であってもいちおうは一眼レフカメラ。それなりの味のある撮影ができヒっヒっヒっ…

「自己満足」でも満足じゃ…

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 小道は海にも下りれる。ちょっとしんどいが、もちろん下りる。

 見おろすだけでなく、水平にも眺めたい。波のリズムをそばで感じたい。

 

 磯に砕ける力強い白波、浜をなめる穏やかな波。

 打ち寄せては引く。永遠の繰り返し。

 そんな波に目が向くようになったのはそれほど昔のことではない。

 

 

                  ちりとてちん

 

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