カメキチの目
感想③
「機」の思想
という章(章は全部で三つ)があります。
著者は長いあいだ合気道をやっておられ、広い意味での武道の熟達者でもあり、弟子もとれるほど。
しかし、ご本人は思想という学問だけではなく、合気道という身のこなし(ワザ)とともに武道の精神へも精通されています。
「機」というのは、「石火之機」とか「啐啄之機」とか、禅のたいせつな精神です。前者は一瞬に気(意識、精神)を集中するときの「気合い」みたいなものの意義をいっています(後者は少し違いますが説明はここではお許しください。ともかく、「武道」にも通じているようです)。
話は全部とてもおもしろかったのですが、本になかったことを含め、私がいちばんに感じたことのみ書きます。
巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎のたたかいの結果はご存知のとおり。
そうなるまでの二人の行動、心中についての説はいろいろあるようです。
よくいわれるのは、来るのが遅い武蔵をイライラして待つ小次郎の心の状態が彼が負けることになったというもの。
武蔵が勝負の策としてわざと到着を遅らせて、小次郎の精神状態を狂わせたのかわからないけれど、ともかく小次郎が苛立った時点で、(たとえ剣術のレベルではちょっとだけ彼が上だとしても)勝負はついていただろう。
要するに、だいじなことは自分の心の状態、精神の在りようだということ。
この章のなかで、内田さんは「武道的な『天下無敵』の意味」「敵を作らない『私』とは」という二つの節をもうけている(前者が後者につながる)のだが、この部分にとても考えさせられた。
これほど「機」は、武道や禅で重きをおかれる日本的な心のあり方なのらしい。
■「天下無敵」ということ。
勝負が目的ならば、勝っていちばんになることだけれども、(すべてのモノゴトはそうであるように)「勝つ」「いちばん」というのは相対的なもの。すぐに二番や三番になる。負ける。落ちる。
武道では「一番」になりたければ、「道場破り」をし、勝てばいい(それも箔《はく》・権威をつけたければ数は多いほどいい)。
ところで道場は門弟(弟子)をかかえ、道場主は彼らの師、先生です。道場破りが来たら、師は弟子で勝負させます。
しかし、(「名誉」のために《勝つ自信があればのことですが》最後は師が出ることもあるかもしれませんが)そもそも武道というのは、剣の道をきわめることによる精神修養であり、茶道や華道…など「道」のつくものと変わりません。
道場主(師)は「まだまだ自分は剣の道をきわめていない未熟者です」と謙遜し、ときには「わが流派は他流との試合を禁じています」とやんわり道場破りの相手を断わる。
断ることによって、つまり「土俵の外」に出ることによって「天下無敵」となり、「敵を作らない」になる(実際に「天下無敵」かどうかはどうでもいいのです)。
内田さんのここでの説を私はこのように読みました。この解釈が内田さんの述べようとされていることからはそれているのかもしれません(以下も同じです。悪しからずご了承ください)。
■「敵を作らない」こと。
だいじなことは「勝ち負け」ではなく(「勝ち負け」の土俵に立たない)、「機」の鍛練、精神修養。心を穏やかに、落ち着かせること。心を安寧の状態にもっていくこと。
すなわち「戦い」の真逆。
そもそも(自分の内・外ともに)敵を作らなければ天下無敵。心は静寂。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この章にはもう一つ「ブリコルール」というものが述べてあった。
レヴィ=ストロースという世界的に有名な学者さんが考えだした概念です。「器用な人」というフランス語(「ブリコラージュ」のもと)。
この人は、近代欧米の文化がいちばんというみかたは誤っている、世界中のさまざまな人たちは、自分がどこに生まれたかによっていろいろな文化を作ってきた(持っている)。欧米だけのそれが優れているというのは間違っていると著作のなかで述べています。
(本書より引用)
注:内田さんが本のなかでレヴィ=ストロースの言葉を引用されています。
【…資源の貧しい環境を生き延びるために人間が「その有用性や意味が現時点ではわからないもの」の有用性や意味を先駆的に知る能力を発達させるのは類的にはごく合理的なふるまい…】
【…「ブリコルールたちの口ぶりを真似て言えば、彼らの道具や資材は『こんなものでも何かの役に立つことがあるかもしれない』という原理に基づいて収集され保存されているのである」(レヴィ=ストロース)】
【…諸君が唯一の人間的知と思っているものとは別の仕方で機能している知が存在する。「人間の生が持ちうるすべての意味と尊厳」を自分たちの集団だけが独占しており、他の集団はそれを欠いていると考えることはあまりに傲慢である。「人間性はその歴史的・地理的な諸形態のうちのただ一つにすべて含まれていると信じることができるためにはよほどの自民族中心主義と無思慮が必要である」(レヴィ=ストロース)】
【…野生の人々には固有の知があります。それはあらかじめ立てられた計画に基づいて必要な道具や素材をてきぱきと集める能力ではありません。「ありもの」の「使い回し」だけで未来の需要に備える能力です】
私なりに、「ブリコルール」を思い、考えた。
「資源の貧しい環境を生き延びるために」機の思想も、遠い先祖の日本のブリコルールたちが血のにじむような苦難のすえに生み、編みだした精神的なもののひとつだったのじゃないかと内田さんは述べる。
①での「知っていて知らないふりをする」のもそのひとつじゃないかと思いました。
「ブリコルール」ということについては長くなりそうなので次に書きます。