カメキチの目
初めてですが、「レビュー記事」を書いてみようと思いました(買った商品が気にいったので)。
本物のレビュー記事には遠く及びそうにありません。
マウス(もちろんパソコンの)を買った。
「Premium Fit BSMBW500S(最後のSはサイズかな)」という。
バッファロー製のこれです。
いままで使っていたのが壊れたわけではない。
そういえば、マウスが壊れたという話は聞いたことはないです。
パソコン本体が壊れかえたことありますが、マウスは引きつづいて同じモノを使っていたから変化がありません。こんど、机の配置がえみたいな感覚(気分転換?)で新しいマウスに変えてみました。
使っていたのが気にいらなくなったわけでもないので、ムダ、贅沢、バカなことと思ったですが、老いて物欲が減ったせいか買いたいモノはあまりなく、いいかーと思ったのです。ちょっとした刺激にもなりました。
値段は1700円。
いままでも購入した大型家電店には、「なんかイイモノ見つけるぞ!買うぞ」と意気ごんで出かけたことあるけれど、実際いけば、店内のあふれるばかりの商品に気押され、いつも気分が悪くなるほうが早く、イイモノは見つけられなかった。
「何が欲しくて行ったのか?」 問題はそこ。
私の場合、「イイモノ」の前のその「何」かがよくわからなかった。
要するに、(「どうしても」でなくとも、「いくらか」でも)欲しいというモノがなかったわけです。
でもそれは、ただ単に私の情報量が少ないからでしょう。知ったらきっと欲しいモノが見つかったと思う(欲は人なみにある)。
知れば知るほど欲しいモノは出てきます(技術の革新は急テンポ。たえず新商品が開発され、馬の鼻先に吊るしてある人参みたいに刺激される)。
欲はあっても、現実の私は障害のせいで(単純に)面倒くさいだけの理由で新商品を知ろうとしないだけ…。それで欲望が刺激されないだけだ。
(読者の方のいろんなレビュー記事をみると、「アッ、それ欲しい」「そういうのあれば便利だろうなあ」と感じるのは《記事のすばらしさが重なって》よくあります)
話が(し過ぎるくらい)飛躍しますが、人の「欲望」も「技術」も際限ありません。
両者の密接不離の関係。
1月24日の「ロボット」という記事で、鷲田さんの「これ以上向こうに行くと危ないという感覚」を持つことのたいせつさを引用し、自分の身のほどを知ることの必要を書いたつもりです。
なにも工学技術の進歩による「ロボット」「人工知能」という外部(非生物的な面)だけでなく、私たちの目に見えないところで内部(生物的な面)も、飛躍的な技術の進歩がなされている。
バイオ技術の発展で生物としての人間そのものの改造も夢ではなくなってきています(最近、中国では初めて霊長類にクローン技術が行われ、クローン猿が誕生)。
こんどはちがった。初めから、マウスを買おうと決めていた。
店頭にはマウスだけでも、「たかがマウスと思うなよ」とばかり、目まいがしそうなほどたくさん取りそろえてあった。
こっち選択基準があるわけでもないので、「あなたのマウスの選び方」というていねいな貼り紙が陳列棚にあったので、それに従って選んだ。
私はシンプル(あれこれの機能はいらない)で、使いやすいのが欲しかった。
選んだのがこれだったわけ。
製品のパッケージにはこう書かれていた。
→ 「心地よい」をカタチに
写真撮影がよくないのでわかりづらいですが、右手でマウスを握ったとき(左利き仕様もあるのだろうか)自然に親指が内側(側面)にくるよう、溝があるのです。ちょっとした工夫、デザインですが、手になじんで心地よいです。
(といっても、いくつも使った体験があるわけではないので、ほかの製品がどうなのかはわかりません)