カメキチの目
② きれい好きもいれば、
(汚いのが好きというわけではないけれど)「きれい・汚い」にあまりこだわらない(要は、掃除したり片づけるのが面倒くさいだけ)者もいる。
「人生いろいろ」という歌があるけれど、人間もさまざま(「多様」なんですね)。
著者は生物学者で、『働かないアリに意義がある』(私は読んだことないですが聞いたことはある)という本を出版し、この手の本としてはかなり読まれたらしいです。
【引用】(『働かないアリに…』からではありません)
「短期的な効率性と長期的な安定性とのあいだに綱引きがあり、長期的な安定性が進化に影響を与えていると考えられる例を見てみましょう。それは、アリのコロニーです。…
ある瞬間を見てみると、全体の三割くらいしか働いておらず、後の七割はボーッとたたずんでいたり、自分の体を掃除しています。子どもの世話のような、コロニーの他のメンバーの利益になるような「労働」をしていません。…
アリのワーカーの各個体は、仕事が出す刺激がある一定の値以上になると反応して働きだす(「反応閾値」)と考えられています。…
『反応閾値』の『個体間変異』があると、働かない個体が必ず現われてしまうことがご理解いただけたと思います。…
問題なのは、短期的な生産量が大きいほうが適応度的には有利なのにもかかわらず、『アリはなぜ、必ず働かない個体が出現するようなメカニズムを、コロニーの労働制御のシステムとして採用しているのか』ということです。…
そうやってコロニー内の重要な仕事(たとえば卵を舐める仕事)を途切れさせないようにすること。これが常に働かないアリが準備されなければならない理由だと考えられます。…
やはり、短期的生産量が少ないという反応閾値の変異システムは、長期的存続性を保証するために進化したのだと考えることができそうです。
(このメカニズムは)カブトエビとは違って、外部環境ではなく、自分たちの集団の内側に生じるリスクに対する適応であるということです。
どれだけ安定した環境に住んでいようとも、このリスクは生じます。動物が疲れるという生理的な制約から逃れることはできないからです」
「反応閾値」の「個体間変異」。
この考えにビックリ!「目から鱗」でした。
考えれば「個性」というのは、生物種として普遍的な「反応閾値」が「変異」(=「差異」)として個々の人間において発現した形態かもしれませんね。
だから、ツレのようなマメに動く、クソがつくほど真面目な人間もいれば、真逆の怠惰でいい加減な私みたいな者がいること。しかも結婚し、家庭を築いている。こんな「共存」があることにも納得できます(ここでの「納得」は狭い意味での「肯定」ではありません(笑))。
こんな私でもいつもボゥーっとたたずんでいるわけではありません。必要な出番がくれば勤勉になります。試験が近づけば焦ったし、ときには「一念奮起」して勉強に本腰いれることもありました。(実際するかどうかは、そのときになってみないとわかりませんが)大地震でも起きようものなら「自分の命もかえりみず…」と本気で思っています(が、こんな身体ではムリ?)。
「閾値」が変わり、「やる気スイッチ」ONという反応が起こることもあります(「火事場の馬鹿力」は、環境の急変が閾値を急激に変え、「やる気スイッチ」を入れるのでしょうか)。
短期的にみれば100%真面目が効率よいのですが、効率が少々劣っても、安定している状態が長く続くほうが生物には望ましいわけで、その方向に進化した。
トランプや金、安倍・麻生・佐川…のような政治にたずさわる者だけでなく、あれから1年を迎えた東名高速のあおり運転による「殺人事件」(私もあれは被害者の親友がおっしゃるように交通事故ではなく、れっきとした「殺人事件」だと思っています)の被告、わが子を虐待死させる親たち…
彼らのごとく「悪質な行為」をして他の人に害悪を及ぼさない限り(私だって彼らの行為を「他人ごと」とはいえない)、
いろいろな人がいて、さまざまな人間関係がある世の中はすばらしい。
金子みすずの詩にあるよう「みんなちがって、みんないい」。
日常生活ではウマが合う人もいれば(悲しいけれど)合わない人もいる。お互い個性が違うのであたり前。
それでいいのダ!
思春期の頃、私は全寮制の学校にいて、クラスの誰とも不和にはなりたくないので(だいたいのことはどうでもいいようなことだったので)相手に合わせていました。ところが誰にも合わせるので「オマエは『八方美人』か」となじられ、人間関係というものがとてもうっとうしくなりました(他のこともあり退学した)。苦い思い出です。
しかし、しかし…です。
いちばん最後に著者は「ダーウィンの進化論」の意義を強く主張します。
【引用】
「ダーウィンは初めて『進化には方向性は無い。ただ、その環境に合ったものが生き残ることにより進化が起こる』と主張した…
ダーウィンの主張の意味は、『退化』と呼ばれる進化現象のことを考えればよくわかります。…
したがって、ダーウィンの自然選択説の下では、進化と退化には何ら差がなく、退化という言い方自体が人間の価値観に基づいており、科学的には不適切な呼び方だということになるのです。
一言でいえば『全ての適応は自然選択により、環境に応じた形で生じる』のであって、『元々決められた方向性に向って、進化するのではない』ということです。…
『進化の無目的性』『一回こっきり』 しかし、現代でも多くの人が『理想』に向っていると信じている」
何ということだろう! 「進化の無目的性」。
望ましい方向に進化していくとは限らないということだ。「退化」(あげくの果ての「絶滅」も)をも一種の進化ととらえる。
「進化」は必ずしも+の方向に進むとは限らず、-の方向もアリ(「蟻」ではありません)なのだ(「退化」)。
退化どころか「絶滅」した生物種だって限りなくある。
人類が滅びるのは、子どものころは見たこともない宇宙人ばかりが「敵」と想ったが、いまは同朋でもある地球人に変わった。
「絶滅」を自らの手で行うならば、それは究極の「進化」かもしれないですね。