カメキチの目
ずっと前の「折々のことば」(朝日新聞)のことばが忘れられない。
「戦争とか争いごとって、すべて自分が正義であるという人が起こすじゃないですか」
石田衣良という作家の言葉。お名前をちらっと聞いたことあるぐらいで、小説を読んだことはありません。
コラム担当者、鷲田清一さん(「ことば」選者)が取りあげ、次のようにいわれているのは胸に響きました。
【引用】
「「いつでも正義の側にいたい」と思うのが人の常だが、
自分は単純な善悪、正邪の物語を書こうとは思わないと作家は言う。
〈正義〉と〈愛〉は異なる。
〈正義〉が顔の見えない人々の集合に向けられるのに対 し、〈愛〉は特定の誰かに向かう。〈正義〉が人々のあるべき姿に照準を合わせるのに対し、〈愛〉は人の現にある状態に注がれる」
「戦争は殺人だ。 (殺人はいかなる理由があってもしてはならない) だから戦争はぜったいしてはならない」
私は単純に考え、戦争反対を言う。
わざわざ戦争反対を言うのは、現に戦争しているところがあるし、日本は(今はしていなくても)今までしたことがあるし(それもつい70年ちょっと前のこと)、いつでもまたできるよう世界でも5本指に入る戦力を持った軍隊(「自衛隊」と呼ぶ)がある。
昔も今も、東西南北どこでも、戦争はほとんど「正義は自分にある」という大義名目(ただのケンカじゃないので戦争するには莫大なカネがかかります。出どころの税金には国民の納得できる「説明」責任がいる)をかかげて始まった。
「自衛のために」ということで。
オマエが先に手を出した攻めてきたと言いわけして。
「自衛」のためにしかたなしにこっちも戦争を始めるしかなかった、という言い分。
「祖国愛」、「同胞愛」とかの博愛を、
国家・オカミが言い出したら気をつけよう。
まだ20代のころ、この歌を知って「歌の力」に驚きました。
加川良さんはもう亡くなりましたが、歌は生き続けている。
「〈正義〉が顔の見えない人々の集合に向けられるのに対し、〈愛〉は特定の誰かに向かう。
〈正義〉が人々のあるべき姿に照準を合わせるのに対し、〈愛〉は人の現にある状態に注がれる」