カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.6.19 出生前診断

                                                  カメキチの目

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妊婦さんの血液から胎児の病気や障害の有無をたやすく調べられる「新型出生前診断」。

異常を告げられた多く(「ほとんど」に近い)の方が中絶され、なかには、そのことですごく悩み、心を病む女性がいることをNHKニュース番組で聞きました。

番組は、ある悩んでいる女性を中心に取材を進められた。

   ↓

彼女たちの相談にのってくれるところはない。

産婦人科は、産む前後の妊婦さんの、あくまで「身体」だけが医療行為の「対象」であり、心、精神状態にまでは関わらないという

これは新たな「社会問題」(という言葉は番組では使われなかった)の出現であり、早急に適切な相談機関が整備されなければ…と番組は言っていました。私もまったくそう思いました。

(テレビはまた、そんな先進的な取り組みを始めている医療機関、相談機関なども紹介していました)

 

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個人的に思うことはいろいろあります。

そもそもは、障害児・者が生きにくい(ということは、いわゆる「社会的弱者」「マイノリティー」が暮らしにくい)こと自体が問題。

わが子が障害を抱えて生まれても、事前にさまざまな行政のサポートがあることがわかり、なによりも周囲の温かい目があれば、お母さんは(お父さんも)胸張って「天は私たちを選んでこの子をあずけられたのだ」と受けとめられるかもしれない。

(子どもを産むことをよく「授かる」という言葉を使いますが、子どもは地《娑婆》で育てたらまた天にかえさなければならない《死》ので、「あずかる」ほうがピンときます。-そんな意味のことをひろさちやさんという仏教に詳しい方が述べられていたことがあり、私もその言いかたがたいへん気に入っています-)

 

 現代は、あとさきの問題の出現をあまり考えることなく(多少は考えるのでしょうが)ともかく技術が先行する。

 問題が起きれば(直接的にではなくとも、回りまわって派生的に起きることだってある)「そのとき」考えればいい、ですまされている。または「想定外でした」と言えばすむ。

東日本大震災での原発事故だってそうでした。

 

 この問題だってそういうところがある。

 

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 さまざまな技術の発展、新たな技術の開発で、さらにさらに、どこまでも私たちの生活は便利・快適の道を進んでいる。

 

 だが、ときには想像してみよう。

 この恩恵にあずかれない人たちのいることを。

 恩恵にあずかれても、先の女性たちのように新たな問題、悩みを背負う人たちがいることを。

「ウンが悪かった」「縁がなかった」、はたまた「自己責任(自業自得)」ですませていいのだろうか。

 

というような(世間にヒネくれた人間もいてもいいと思って)ことを書きましたが、不快な気もちになった方々には謝ります。ゴメンなさい。

が、「便利・快適」な生活をほとんどの人々が望んでいるだろう、願っているにちがいないと思い(善意で)新技術の研究・開発・普及に取り組んでいる技術者、研究者、関係者のみなさんが、ときにはご自分の仕事に「待てよ…」と自問自答してほしいなあと、テレビ画面に映った中絶をして(しなかったらわが子を抱けただろうに…)悩む女性の姿をみて思わざるをえなかった。

植物の記事で、体外受精が多いイスラエルのことに触れましたが、自分が体外受精で生まれたことを知って悩む子ども(人)もいるとのこと。

 

 

 

              ちりとてちん

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