カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.11.23 AI

                                                  カメキチの目

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 AI(人工知能)が未来を決すといわんばかり、もてはやされている。

 AIを聞かない日はないほど。

「AI」とは簡単にいえば、コンピュータ(電脳)がたくさん集まって、しかも複雑に絡みあい、人間の素手ではとうていたちうちできないようなとてもむずかしい問題を、0と1で示すデータというものを素材にして無限に近い組み合わせ(プログラム)をつくり、計算して答えてくれる機械、装置のようなものでしょう。

 

 現代社会ではパソコン、スマホを使わない日はない。

これほどコンピュータ(電脳)は私たちの日常の生活を「支配」しています。

まさにコンピュータは「王さま」(でも、私たちは「奴隷」ではない)。

間がスマホを使っているのです(こっちがスマホを「支配」している)。

しかし、視点をかえてみればスマホが「王さま」といえなくもない。

スマホの機能がますます高まれば《つまりAIの出番が増えてゆけば》、比例して人間生身の出番は減り、いつか進化を遂げたAIが「暴走」を始め、人間に「逆襲」というのもあながちSFの世界の話ではなさそうです→この記事の最後で『トゥモローワールド』という映画にふれました)

 

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スマホの機能にはビックリ!

この頃は、「災害列島日本」も放送局からでなく、たまたまその場に居あわせた人(だから、その方が被害者になったかもしれない)からのショックな映像がリアルタイムで送られ、放送局はイヤになるほどその映像を繰りかえし流します。

 

 AIが他の技術とともに究極の発展をとげれば、

人類は天候をも管理し、天気を気にしてスマホ調べることさえ無用となるのかもしれない。

 はるかな未来には、災害といえば「人の手」によるものくらいで、「自然」によるものはなくなるのかもしれない。

 

先日、NHKの朝のニュースで「ホモ・デウス」という言葉を初めて聞きました 

いまや人類は「ホモ・サピエンス」から「ホモ・デウス」に「進化」しようとしている、神の領域に手を入れ、神に近づこうとしているかのようだと。

これから(未来)の人類のあり方について、われわれは真剣に考えなければならない時代にきていると。

 

 

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 同じころ、

録っておいたNHKBSの『マリオ』(ゲームで有名なあのオジサンにあやかったのでしょうが、関係はなかった)というドラマをみました。

・「マリオ」というのは警察のAIのネットワークシステム名。

ですが、ネットワークシステムに組みこまれた主人公(AI)の名前も同名。

・主人公「マリオ」は、

死にかけた(たぶん脳死状態)人間だったが、警察庁の博士が開発したAIを脳に「インストール」され(つまり肉体は人間、頭脳はAI)、そのネットワークシステムを通じて博士に操られながらも、親しくなった少年(先の博士の息子。博士は家庭をかえりみない「研究バカ」な父親で、母親は寂しくて不倫している。だから、息子は家庭に居どころをなくしている)との交流(「交流」はAIにとって「学習」でもある)を通して進化(成長)していく…。

ところでドラマは、

主人公の「マリオ」を生みだしたくせに、あとになって警察は人間らしくなってゆくマリオはいらないと、消そうと(殺そうと)します。

・物語はドラマチックなさまざまな展開があり、最後は警察の追撃を受けてマリオは死ぬという悲しい結末を迎えますが、肉体としてのマリオは死んでも(滅んでも)、AIとしてのマリオは「生き」残ったのには(こっちは一視聴者ですが、すでにマリオに感情移入しているので)救われる気もちになりました。

 

『マリオ』の感想二つ

① 自分でつくっておきながら、必要を感じなくなったら消そうと(殺そうと)する人間。人間はなんと身勝手なことか。

②「SIT」だか「SAT」という警察の特殊部隊がマリオを追いつめる場面で、彼らは人間でありながらも、上司の命令には逆らわないという点で、AI搭載のただのロボットのように感じられた。

対してマリオ。初めはロボットのようであっても少年との交流を通しての絶えざる学習で進化し、人間らしくなってゆく(「人情」を解し、「人はこうあるべきとわかっていても、そうできない。そうしたくないことがある」と矛盾した存在、不合理な存在であるということも理解できるようになる)。

「SIT」だか「SAT」という警察の特殊部隊のほうがロボット的で、両者は好対照だと思った。

(オマケ→「忖度」というのは、高度な人間の心理機能・働き。だから、「森友問題」で国会答弁に立った佐川という超高級官僚は、外見は無表情なロボットのようであっても、忖度できるのだからとても人間的なんだなと、ヘンに感心しました。ウソは人間だからこそつけるのですね)

 

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あらためて、

AI、ロボットなどの工学的な技術も、生体に切りこむバイオの技術も、地球上の生きものすべてが繁栄する方向に進むよう願わざるをえなかった。

「科学・技術」そのものはすばらしくても、人間の幸福追求の方向で使わなければならないという、どこでもいわれるあたり前のことを強く感じた。

 

 人間はだれも、幸せになりたくて、幸せを感じたくて生きている。生まれてきた。

 

 

いまの、これからの私たち人間に必要な、求められているものは、「欲望を太らせる」また「新たな欲望を開発」することではないと思う。

ホモ・サピエンスという一生物としての人類が他の仲間(さまざまな生きもの)とともに長く生き残るためには、「ホモ・デウス」へと進化することではなく、人類先端の科学・技術を横に広げる、つまりだれもが享受できるようにすることではないだろうかと強く感じました。

 

【追加】

上を書いたすぐあとに、たまたま『トゥモローワールド』という録画していた映画をみることになりました。

ジョージ・クルーニーふんする科学者が主人公で、かわいい女の子のAIロボット(こっちは身体も人造で完全なロボット)、若い女性の三人ととに大活躍する物語。

・現代の地球のあちこちで自然と社会のさまざまな問題。それらが重なって紛争はたえず、ついに第三次世界大戦勃発(とは映画はいっていませんでしたが)。「その日」がきた。限りない欲ぼうで争い、人類は破滅した。

・しかし、人類の幸せな姿、未来を「夢みる人たち」の一人の優秀な科学者は人類を救いだそうとする(物語では「タイムトンネル」も開発されており、絶滅する以前の地球に戻り《タイムトラベルして》人類を救うことが可能なのです)

これに対し、彼と同じく優秀な友だち(科学者)はAIロボットたちを部下にもち、別な次元の世界に生き延びて(もちろん、科学技術の力で)滅びた地球、かつての人間世界を眺めながら、欲に支配され自滅した人類の姿は自業自得であり、助けてもバカな人類はまた同じことを繰りかえして破滅すると反対。

 

物語のクライマックスと終りと二度も出てきた言葉(正確ではありません)。これに制作者たちの思いのすべてが凝縮されていた。

 

「夢みる人たち(人間)が団結してほしい。『プログラム』ではなく」

 

 

                 ちりとてちん

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