カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.12.11 言葉

                                                  カメキチの目

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 言葉 コトバ ことば

  

だいぶ前、朝日デジタル(10月26日)に「誠に遺憾に存じます」という記事があった。 

題名「誠に遺憾に存じます」のとおり、「不徳の致すところ」など政治家や企業のリーダーが自身のまちがいや不手際を相手に謝るように見せながらうまくその場をやり過ごす切り抜ける卑怯な態度を、古田徹也さんという哲学者が指摘されたもの。

【引用】

言葉が平板化すれば世界が平板化する。…だからこそ、言葉の豊かな可能性を信頼し、しっくりくる言葉を探し当てようともがき、待ち続けなければなりません。そんなの面倒だと思われるかもしれませんが、しっくりくる言葉が見つかり、その言葉で話すのは、そもそも快く、楽しいことですよね。その充実感や喜びを手放さず、閉じゆく世界の可能性を開いてくれる言葉を増やしていく…

私は、しっくりくる言葉という言葉がピンときた。

 

もう一カ所の言葉もピンときた。

【引用】

なにも、気の利いた目新しい言葉をいつも使うということではありませんよ。出てきた言葉自体がありきたりなものであっても全く構わない。その時まだ自分の中でもはっきりしていないもやもやをかたちにしたいと粘り、紡がれた言葉であれば十分『生きた言葉』になりうる。テニスプレーヤーの大坂なおみさんがツアー初優勝の時に行ったスピーチはその好例です。彼女が言葉を絞り出そうともがいている時、聴く側も、せかさず待っていた。『生きた言葉』が紡がれるには、聴く側の『待つ力』も欠かせません

紡がれた言葉

 

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退職してからのここ数年間、ウチではツレあいと二人の生活。

                           

彼女との会話。「二人だけしかいないのだからやさしくしゃべって」とよく言われる。こっちは「きつい」つもりはなくても、耳が遠くなったこともあり「聞き返し」が多くなり、障害のせいか身体感覚がヘンなので口調とかトーンが強くなったり、そのうえ拙い言いかたが重なって、「ケンカ寸前」の不快な思いをさせることが増えた(ときには「寸前」を突破)

 

それ以外の言葉を使うといえば、ブログ記事(こっちは「書く」)。

「記事を書く」ことは私には一種の勉強。脳の活性化だと思って言葉を選び、文章を考える。

選び、考えてもこの程度(つまらない表現、くどい、…と削除、書きなおし、推敲はたびたび)。

それに、私は「はてな」からBマークコメント使用禁止を受けているのでなにか言いたいときはふつうのコメント欄からしか書けない。コメントが長くなりはしても、字数制限はない。それで、うまくまとめなくていいので「誠に遺憾に存じます」式の紋切型にはなりにくい。相手の方に(「くどい」とか「何が言いたいねん?」との思いをおかけすることもあるけれど)こっちの思いや考えがいちおうは届いていると信じている。

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「しっくりくる」、「紡がれた」言葉を書けるようになりたい。

 

 

                            ちりとてちん

 

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