カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.3.8 地方が消える 

          カメキチの目 

 

 前回、『目からウロコの自然観察』という本を読んで思ったことを書いた。

 自然は人間じたいがその一部、「自然」的存在なので、本能・DNAに自然への感性が組みこまれているのだろう。

 しかし、人間は同時に「社会」的存在だから、仲間・同類から離れては生きてゆけない。

 私の生きているのは日本という国。

 

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 子ども時代をすごした故郷を思ったり、旅で「シャッター通り」を歩いたり、酔いそうになる大都会の雑踏を行くとき、ふっと思う。

「過疎、過密」「地方と中央」「一極集中」…。 

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 この偏りを、この国の政治や経済のリーダー、エライさんはどう考えているのだろうか(考えてないか)。

 この偏りは、国土でしか生きられない人々(国民)の生活の質、その差・不平等に歴然とつながっている。

(「生活」というのは、いってみればその土地で暮らしている人にとっては身近な「現実世界」であり、そこに長く住んでおれば慣れてしまいます。あえて外をのぞいてみようとしない限り、他と比べてみない限り《禅的には「比較」はよろしくないですが》自分の住んでいる地域、立ち位置はわからない。客観的には「井の中の蛙」であっても主観的には「住めば都」。現状に甘んずるほかないので不便は感じても、だからといってそのまま差・不平等を感じることになるものではないだろう)

 

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 敬愛している読者よんばばさんが、2018.1.14の記事に『桃色東京塔』という柴田よしきさんの小説を紹介しておられ、ずっと気になっていたから、先日よんだ。

【本のことはよんばばさんのすばらしい記事をどうぞ!】

                   ↓

yonnbaba.hatenablog.com

 

 私のここで言いたいことは直接にはストーリーに関係なく、上で述べた「過疎、過密」「地方と中央」「一極集中」…のこと。

 

 作中こんな文章があった。

【引用】(長くなるので、前後を省き説明も加えていません。「なんのこっちゃ?」とお思いでしょうが、そこはよんばばさんの記事にお任せして)

篠山は深く息を吐いた。「ちゃんと人がいる。住んでいる。暮らしている。当たり前のことみたいだけど、わたしたちが働いているところでは、それがもう当たり前じゃなくなっている。違う?」日菜子は黙って頷いた。…「これだけいっぱい人がいたら、学校だって病院だって作れる。税金もたくさんおさめて貰えるから、いろんなことが出来る。医者も弁護士もちゃんと近くにいてくれる。そういうことって、今の日本ではさ、ほんとは当たり前になっていけないはずよね。でも当たり前じゃない

 

「ええ。この橋を直してほしい、と手紙に書いてあったらしいです。でもほら、橋は直されない。だって、もう、この橋の向こうには誰も住んでいないんですものね。石田さんが人生を捨てる決心をした時、最後に願ったことが、この橋をもう一度渡れるようにすることだった。それなのに、そのお金は今もその願いの為にはつかわれていないんですよ。石田さんのお金では足りない、それが理由です。…わたし、どうしても思ってしまうんです…。この国は、冷たい国だな、って

 

 日本は、自由・民主主義の国(「自」と「民」。どこかの政党名かな)。

 職業選択も住むところも移動も「自由」。

 過疎、地方がイヤなら都会に行けば(来れば)いい。

 (人間は都市で暮らし、地方はイノシシやシカなど野生の生きものにあげればいいのでしょうか? そうすればヒト・獣の棲み分け、共存ができるというもの。

 そもそも「ヒトが人間になって」祖先や自然を崇め、歴史と伝統を敬うような文化をもったからいけないのでしょうか?)

「都会」は都会であり、「地方」は地方である。いっしょ(同じ)のようには暮らせなくとも、「今の日本ではさ、ほんとは当たり前になっていけないはずよね。でも当たり前じゃない」と、地方の人が嘆かなくともすむことくらいの程度は国がきちんとやってほしい。

 

 小説の日菜子、篠山、石田さんのように私も地方出身で、実家は典型的な過疎地。近くの急峻な山を少し上がったところには曾祖父からの一族の墓もある。

 墓もそうだけど、小さくても大工の叔父が建てた実家もある。いずれは「家」「墓」…をどうするか? 悩まなくてはならない。

 

「故郷」のたとえ小さい土地でも自分の所有物(私有地)。親から継いだのだ。親はまたその親から。

 後継ぎがなければ国に帰属する。「後継ぎ」か…。後継ぎがなかったら国のもの。

(考えてみれば土地はもともとみんなのものだったのだから、つまりみんなのもとにかえるのだからイイか…)

 

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                    ちりとてちん

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