カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.5.7 『猫も老人も役立たずでけっこう』②

         カメキチの目

 

 

②「そんなに稼いでどうするの?」

 

初めに【引用】を。 

・今の世の中は、「やってみなきゃわからない」とは言えないんです。そんなふうに答えると、なんて言われるか知っていますか。「そんな無責任な」ですよ。…

それは経済中心に考えているから、そうなるんでしょう。だから、「経済ってなんだよ、経済がおまえを生かしているのか?」と言いたくなりますよ。

まるに聞けば「ケイザイ?なにそれ??」って言うでしょうね。…

 

・あんなに一生懸命働くから金に余裕ができるわけでしょう。嫌というほど経済的な余裕が大きくなるもんだから、あれもこれもとなっていくんですよね。それで、原爆をつくったりミサイルをつくったりしているわけでしょう。何をしたいんですかね、人間って。…

 

・いい気もちというのは、それは一時的なものでしょう。でも、いい気もちって、悪い気もちがないとわからない。当たり前だけど、相対的なものなんです。(ここでいう「いい気もち」とは、便利・快適な暮らし、つまり「モノ」から受けるものです)

どうですか。今より良くなりたいですか?

まるを見ているとわかるんですよ。あの程度でいいんじゃないのって。

 

 とてもわかりやすかった。

(スゥーと頭にはいりました)

 

 養老さんは、表面にとらわれてばかりいると見えにくい根本、本質をつく見方をされる。

 それに自分の感覚をとてもだいじにされ(猫の世界には言葉がないので、まるとのつきあいは、人間の養老さんは感覚の次元でコミュニケーションをとるようです。本を通じて「まる、オマエはどう思う?」とよく訊かれていた)、そこを入口として本質に迫っていかれる。

 

■「やってみなきゃわからない」

(ということは、「失敗」に終わっても「経験」になるということ。いろいろな経験を積みかさねて人は成長してゆくのですね)

「行動」の前に頭でよく考えるのはたいせつだが、頭でよく考えたうえでも「失敗」(「望んだ結果」にはつながらない)に終わることがある。

「失敗」を恐れ、初めから「やってみる」のをあきらめる選択肢を選ぶ道もある。

(リスクになりそうなことはなるべく避け、堅実に生きようとするのは誰しも望むこと。

しかし、多くのことは望むようには進まない。

しかし、「失敗」に終わったと思っていたことが、じつはその後の「成功」につながっていたりして。

養老さんの声が聞こえてきます。「『成功』とか『失敗』というけれど、それってなんですか? まる、オマエはどう思う?」)

 

 

■「経済」というのは著者にいわせると、「効率」とか「有効」「合理」と言い換えてもよさそう。

 

「効率」・「有効」・「合理」などの「ものさし」が、「おまえを生かしているのか?」と著者は毒づく。

 だから、まるのものさしを借りてはかり直してみよう。

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まるのものさしによれば、経済なんて「なにそれ?」

 

■「あんなに一生懸命…金に余裕…」

まるの目線に立てば、「何をしたいんですかね、人間って」と言いたくなる。

(私もれっきとした人間であるが)まるになりたい。

 

■「いい気もちというのは…」

 今より良くならなくていい。ほとんどの人々と同じく私にもいちばんの願いごとは「家族の健康」。

 そうであればいい気もちになり、それ以上の望みはない。

(もちろん、「もっともっと…」の煩悩は事実あります。けれど、老いてそれが減ってきた《もちろん0ではありません》のも事実。

まだ若いみなさんも歳とれば感じます)

 

 私も多くの犬や猫などを飼っておられる読者さんにそのことを教えられている。

 彼らはまぎれもない家族なのだということを。

 

               

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                           ちりとてちん

 

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