カメキチの目
最終回のきょうは「個性」について。
【引用】
個性を伸ばせとおっしゃいますが…
・「私は私」と思っているということは、「私は情報である」と思っていることと同じです。情報化社会というのは、IT技術の進歩した社会だと思っている人が多いでしょう。とんでもない。人間が自分を情報だと思う社会が情報化社会です。…
・では、その個性とは一体なんでしょうか。私にすれば、そんなものはハッキリしています。人を見れば、みな違う顔、違う身体つきをしているでしょう。血液型だってそうです。それはまぎれもない個性ではないですか。ところが、多くの人が個性とは心だと思っている。心が生み出す、人と違った考え方や行動を個性だと勘違いしています。つまり、意識にこそ個性があると信じている。私だけの思い、私だけの記憶なんて言いますが、そうしたものは他人にとっては意味のないものです。…
・夫婦もそうではないですか。何十年一緒に暮らそうが、折り合わないところはあるでしょう。それが、夫婦それぞれの個性です。では、折り合っている部分をなんと呼ぶか。それが心ですよ。…
・「人の心がわかる心を教養という」…ものをどれだけ知っているかではなく、人の気もちが理解できることのほうが大切だということです。
述べられていることは短いけれど、深く考えさせられた。
■情報----------
私は2018.12.25「修行」という記事を書いた。そこでの養老さんの引用文は以下のとおり。
(日本の教育を論じ)
【引用】
報告書や書類といったものは、言ってみれば「情報」です。つまり過去の事柄です。こうした「情報』にウェイトをかけて、先ほど言った『修行』のようなもの、『言葉にならないもの』が無視されているのが、いまの学校ではないかと思います。
「情報」という0と1の組み合わせ、無限の集合という怪物のようなものの奴隷になろうとしている人間のあり方に警鐘を鳴らしておられる。
【引用】
情報化社会というのは、IT技術の進歩した社会だと思っている人が多いでしょう。とんでもない。人間が自分を情報だと思う社会が情報化社会です。
この部分を私は一度では理解できず、5、6回も繰りかえし読んでやっと理解した。納得できた(気がする)。
■個性----------
著者は ヒトの体をバラバラにする仕事(解剖学者)の経験から、個性は体だと断言される。
(ヒトの体をバラバラにすればわかるが、それは千差万別。一体としておなじものはないとおっしゃる)
心のようなあいまいな、意識のようなはっきりしないものではないと言われる。
そこで、あえて心(「精神」といってもいい)に「個性」があるとすれば、少なくともそれは他の人と違っていることではなく、他の人にとってもわかる、「意味のある」ことだと続けられる。
(自分が感じ、思い、考えることは、たいてい他人もそうなんだろう、というのがたいせつなんですね《社会が成り立つうえでの大前提》。「独りよがり」は決して個性とはいわない)
■心----------
夫婦を引き合いに出して、
【引用】「折り合っている部分をなんと呼ぶか。それが心」
「折り合い」が、「妥協」であれ何であれ、個性の違う相手に自分を折り曲げ(引っこめ)て合わせる行為をさすならば、その行為の原動力は「心」ということ。
(他の人と違っていることではなく、他の人にとってもわかる、「意味のある」こと)
心、意識による積極的な行為だから自然にはできない。
(すごく実感できる。不肖の私が老いの今日まで結婚状態を続けられたのはひとえにツレの忍耐と、彼女の結婚当初の《私への》幻想が裏ぎられても何とか自分で修復してきた努力のおかげ)
■教養ーーーーーーーーーー
【引用】「人の心がわかる心を教養という」
「教養」を「心」というところに立って思い、考えたことのなかった私にはとても新鮮な(衝撃さえ感じさせた)見方だった。
オマケーーーーーーーーーー
別なところで養老さんは、2016年のイギリスのEU離脱とアメリカにトランプ大統領登場という大きな出来事をさして、
グローバリゼーションという世の動きに、果たしてそれが「幸せ」「進歩」というものだろうかと、両国の人々が疑いはじめてきたからではないだろうかと。
(こういう視点も私には新鮮でした)
こうも書いておられた。
【引用】
スタバのコーヒーはどこでも同じ?…
たまには、自分が同一化していることを意識したほうがいいですよ。猫を見るとそれが少しわかる。動物には、絶対に「同じ」がない。彼らの目に映るものは「日々新た」なんです。