カメキチの目
ブログは日記のようなものだ。
違いは、紙に書いていたのをパソコンに書く(打つ)こと、それにネットに通じているから公開されること。
「公開」。
ということは、不特定の他人に見られていること。
そう思うと、「適当な緊張感」が生じる。
(「自分だけわかればいい」ふつうの日記ではないところに気を遣う。《したことないからわからないが》化粧も似たようなところがあるのか)
適当な緊張感は適当な「義務感」も生む。
やらなくてもすむけれど、やろうとしたからには続けてみようと決めた。
で、ここまで続けてこられたのだろう。
(仕事などでなくともちょっとした「義務」のような強制感がなくては、それと《これがいちばんですが》時間・ヒマ、これらがなければ私はここまで続けてこれませんでした)
ときには自分のことをよく思われたくて、ほんのちょっと事実を曲げ、アレンジし(ウソではないから「誇張」でしょうか)、格好をつけたかもしれない。
(あくまでも「かもしれない」。
ブログを続けるうちに、その「化けの皮」は剝されているに違いない。化けに気づいていても「ダマされたふり」「知らないふり」してくださっているみなさん、ありがとうございます)
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私の記事内容はいろいろだが、カテゴリー分類は面倒くさいと思い、分ける意味もそれほどないとも思い、いままでしたことはなかった。
しばらく前、ツレの「これまでの分、整理したら…」の声がけに、その気になり、やり方を教わったら面倒は面倒だけど簡単だった。
(で、やることにしました)
やると、日記をふり返るように、古いアルバムをめくってみるごとく、過ぎさった昔のあれこれが思いかえされる。
まだ「なつかしさ」まで熟してはいないが、そこまで古くはなっていない過去に遡ってみるのもおもしろかった。(二、三人の読者にしか☆をつけてもらっていないのにそんなこと眼中になく、書きつづけてきた自分がほんのちょっと健気にみえた)