カメキチの目
だいぶ前に録っておいた『警視庁機動捜査隊216』という番組をみた。とてもよかった。
(たまにあるシリーズの刑事ドラマ)
こんどのタイトルは
「引鉄」といった。
(鉄道写真愛好家を「撮り鉄」という。で、私は鉄道マニアの新しい何か、列車でも力を合わせて引くのかと想ったが、鉄道とはまったく関係なかった)
「ヒキガネ」と呼ぶ。鉄砲(銃)の指をかける部分を指す。
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事件解決後のおしまいの場面にジーンときた。
それがタイトルである「引鉄」を象徴していたのだ。
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シリーズは毎回のことながら、主人公(女性刑事)は、彼女にその気があるくせに照れて告白できないレギュラーの記者に、つれない態度をとる。
それは彼(レギュラーの記者)のやさしさがわかっていても、彼女には「引鉄」をめぐるとても辛い過去(追いつめられた犯人が人質の女性に凶器をかざしているという極限《警察の職務上、発砲してもかまわない》状態にあったとき、彼女が拳銃の引金に指をかけたまま迷っていた瞬間、犯人は女性を殺害した)がトラウマになって重くのしかかっているからだ(このことは記者の彼にもよくわかっている)。
主人公たちの努力のおかげで今回も事件が解決した。
そのあと、記者の彼が女性刑事の活躍をねぎらって彼女に語った言葉にジーンときたのだ。
「引鉄」は銃のことだけじゃないのだなと強く感じた。
番組は刑事ドラマなので、「引鉄」は拳銃を撃つ、人を殺傷するという怖いイメージを抱かせるが、「銃」を「人生」に置きかえることができると思った。
人生でも、「選択」「判断」という、「引鉄」にあたるものがたびたび現われ、撃つ・撃たないを判断し、選ばなければならない重大な岐路に立つ場面がたびたび現われる。
(「人生の選択」といわれるような大きな決断を迫られることは数少なくても、軽く決めることはしょっちゅうある。それが後には重大な転機となり、以後の人生に大きな影響を与えてくることもある)
それにまた、(銃など凶器の本来的な機能、目的である「殺傷」に目を向けると)相手が他人にではなくとも、自分に銃口を向け、傷つけること(自傷、自殺行為)もあるだろう。
「引鉄」に指をかける、そして引く、ということが、この番組をみてすごく身近なことに思われた。
「銃の所有」とは無縁でも、人は誰でも「人生を所有」している。
生きているだけで誰でも威力をもった存在なのだ。
(拳銃が出てくるテレビ、映画は数えきれないほどみてきても、「引鉄」を人生に引きよせて思い、考えたことはありませんでした)
「引鉄」に指をかけている、という気もちを持ちつづけるのは疲れるけれど、ときには意識してみたい。
(禅の精神に通じる気がする)