カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.6.7 ソーラーパネル

        カメキチの目

 

 

 テレビに映しだされたモンゴルの大地。

 背丈の低い草しか生えていない広大な荒涼とした土地が果てしなく続いていた。

 

 そのなかにポツンとテントの住居(「ゲル」という)が一つ。

 ラクダを放牧している人が住んでいるのだ。

 そのゲルのそばには1㎡に満たないような小さな太陽光パネルがおかれていた。

 

 羊飼いのモンゴルの男性は器用にスマホを操っていた。

(ちょっと「チグハグ」な気がしてクスッとしましたが、これまでも地球各地で役だたされ、愛用されているスマホの「偉大さ」を感じざるをえませんでした) 

 

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 電気エネルギーを使わないことには、現代人の便利で快適な生活は成りたたない。 

(いまはエコ、安全ということで太陽光など自然の力を利用した発電システムが増え、また配電の方法もよりムダのないものへと工夫・改善され、蓄電池の進展とあいまって驚くほど進歩しています《旅していたら、ときどき巨大な羽根車を海辺や山の尾根すじで見かけます》。

 

先々月、NHKニュースの「平成をふりかえる」というシリーズで、福島の原発事故のことを取りあげていた。この中で元原子力委員会の委員長だった方が、「原発安全神話」をとってきたことを深く悔いておられました。

「もっと国民にリスクの存在を浸透させておくべきだった。維持し続けていってもリスクはなくならないことがわかったうえで、なおも原子力に頼るのか」と問えばよかったと、苦渋に満ちた表情で語っておられました。

そして、企業《東電》が2カ月も「メルトダウン」を隠し続けていたことも)

 

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 2、3年前に「おもしろい」「かわいい」に「安い」(これがいちばん)もあって、100円ショップで買った。

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 初めはちゃんと動いたのに、いつかしら止まった。

「やっぱり100円か…」とバカにした。

 が、捨てるにはまだ「かわいい」は残っていたので飾っていた。動かなくてもいい。装飾の用は果たせる。

 

 先日、4歳の孫がきて(子どもは好奇心のカタマリのようなものだから)さわった。

 その日はピカピカの晴れということもあってか、わずかに動いた。

ソーラーパネルはたかだか3㎝平方。壊れているに決まっていると思っていたので動きだしたのにはビックリした。

動かなくなったときから飾って《放って》おいたのだが、放っていたからますますホコリがたまり、ソーラーパネルは完全に光を受けなくなっていたらしい。

孫がさわり、位置も変えた。さわったときホコリも少し取れ、位置はより光を受ける方向に変わったのだろう)

 

 ツレがホコリをきれいに拭き取った。すると、新品、買ってきた直後のように光によく反応し、(そういう仕掛けがされているので)花は茎と葉を振り、ネコは片手と尾を揺すった。

(バカはこっちだった)

 

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 ソーラーパネル

(だからといって、なにもソーラーパネルの宣伝をしているのではありません。自然エネルギー自体はすばらしいけれど、発電システムとなるといろいろ問題があり、設置場所とか設置方法などをめぐってあちこちでもめごとが起きているとニュースで聞きます)

 

 それはかなり昔から、当時は1000円以上もした電卓に利用されていた。

 現在は性能が高められ、巨大化し、エコな発電をするまでになったわけだ。

 

 

 茎・葉を振る花と片手と尾を揺するネコをしみじみながめていたら、万物の源、太陽と光の偉大さを感じた。

 

              

 

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                              ちりとてちん

 

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