カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.6.11 〇〇市(イチ)

         カメキチの目

 

 

 近くのスーパーでは毎週「〇〇市(イチ)」を開催している。

 その日は一部の野菜など食料品が安くなるので買いに行く。

(と言うか、ついて行く。まわりを見わたせば似たような男性がけっこうおられます)

 

 一階の食料品売り場は土日以上に人が混む。         

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 出入り口ちかくの駐輪場の枠内からはみ出た自転車が、フラフラ歩きのこっちには少し邪魔だけど、

店の活気にあふれた雰囲気は気もちいい。

 

「〇〇市」は平日なので客はお年寄り、幼児をつれた若いお母さんがよく目につく。 

 少しでも安いものを買おうと、みな必死なのだ。

 

 同じ品物が曜日によって変わるなら、誰でも安い日を選ぶ。

 専業主婦も働いていないお年寄りも収入を増やすことはムリなので、「いかに出費をおさえるか。それが問題だ」とガンバっている。 

  

 ある日ぽつん、ツレが言った。そんな仲間のみなさんへのエールのようなことを。

「庶民はみんな、生きるのにたいへんなんだね」

 ちょっと大げさな言いかたとは思ったけれど、大きくうなずいた。

 

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 買い物とは関係ないけれど、日本は「自然災害大国」。

 

 地震はいつ起きるかわからないが、もうじき豪雨などがやってくる。

 この頃は、「50年、100年に一度」という大規模な災害が毎年のように起こっている。「50年、100年」が毎年起こっている。

 

 危険が迫ると、国や自治体は早めに避難を呼びかける。

が、住民はなかなか応じない。その大きなわけの一つに、

「また、体育館(それに類した施設)か…」というため息があるのではないか(とくに赤ちゃん、障害者、お年寄りがいる家族はそうだろう。少なくとも私は絶対そう)

 

 いまは避難生活を快適に過ごせる用具類がいろいろとあるという。

 これらに加えて常設の非難施設があれば、どんなによいことか。 

(戦車1台・戦艦1艘・戦闘機1機、1回の演習でモクズと消えさる砲弾のおカネがあったら、未だに仮設住宅を出られず、家を再建する目途もたたない被災者がどれだけ救われるだろう)

 

 国はなんのために存在するのだろうか?

 

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                               ちりとてちん

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