カメキチの目
逢 茶 喫 茶 逢 飯 喫 飯
(ちゃにおうてはちゃをきっし はんにおうてははんをきっす)
お茶をいただくときはお茶を味わい、
ご飯をいただくときはご飯を味わう。
お茶を飲んでいるとき、「コーヒーがよかったー」
ご飯を食べているさいちゅう、「パンがよかったー」
などと思わないで、現に、お茶を飲んでいるときはお茶を
しっかり味わい、ご飯を食べているときならご飯をていねいに味わおうということ。
(そうでないと、お茶にコーヒーが混じった味がしたり、ご飯とパンをいっしょに食べているような味がするかもしれない《それはそれでいいという思い、考えもアリでしょうが》)
要は、その時その場で自分のしていることに集中しようという教え。
「心ここにあらず」では、その時その場を味わえない、楽しめない。
だけでなく、長くその状態が続くと(何でもそうだが)「ものにならない」。
(たとえ、自分で選んだ好きなことではなくても)長くあることに心を向けていくと、ある状態・状況を続けていく(継続)と、「身につく」ものがでてきたり、「わかってくる」ことがあるかもしれない。
(しかし、ないかもしれない。「ない」も覚悟して、いま現在の自分の人生を一生懸命いきるのがだいじなのか)
しかし私は、こうも思った。
「逢茶喫茶 逢飯喫飯」のためにも、今・ここをしっかり、ていねいに生きるためにも、ときどきは
「他であったかもしれない」(=「偶有性」。お茶ではなくコーヒーを飲んでいたかもしれない。他の人と結婚し、他の仕事をしていたかもしれない。そもそもまったく別な自分であったかもしれない)
と想像してみることもだいじなことだと。