カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.6.14 逢茶喫茶逢飯喫飯

         カメキチの目

 

 

    逢 茶 喫 茶  逢 飯 喫 飯

  (ちゃにおうてはちゃをきっし はんにおうてははんをきっす)

 

 

 お茶をいただくときはお茶を味わい、

ご飯をいただくときはご飯を味わう。

 

 お茶を飲んでいるとき、「コーヒーがよかったー」

 ご飯を食べているさいちゅう、「パンがよかったー」

などと思わないで、現に、お茶を飲んでいるときはお茶を

しっかり味わい、ご飯を食べているときならご飯をていねいに味わおうということ。

(そうでないと、お茶にコーヒーが混じった味がしたり、ご飯とパンをいっしょに食べているような味がするかもしれない《それはそれでいいという思い、考えもアリでしょうが》)

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 要は、その時その場で自分のしていることに集中しようという教え。

「心ここにあらず」では、その時その場を味わえない、楽しめない。

 だけでなく、長くその状態が続くと(何でもそうだが)「ものにならない」。

 

(たとえ、自分で選んだ好きなことではなくても)長くあることに心を向けていくと、ある状態・状況を続けていく(継続)と、「身につく」ものがでてきたり、「わかってくる」ことがあるかもしれない。

(しかし、ないかもしれない。「ない」も覚悟して、いま現在の自分の人生を一生懸命いきるのがだいじなのか)

                                  ふーむ  らかんさん

 しかし私は、こうも思った。

「逢茶喫茶 逢飯喫飯」のためにも、今・ここをしっかり、ていねいに生きるためにも、ときどきは

「他であったかもしれない」(=「偶有性」。お茶ではなくコーヒーを飲んでいたかもしれない。他の人と結婚し、他の仕事をしていたかもしれない。そもそもまったく別な自分であったかもしれない)

と想像してみることもだいじなことだと。                        

 

 

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                              ちりとてちん

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