カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.9.5 『都市と野生の思考』① テリトリーとメス

         カメキチの目 

 

 

 朝日新聞一面に、気にいった言葉を毎日のせて

おられる鷲田清一さん臨床哲学者)と、ゴリラ研究で

有名な山極寿一さん生物学者の対談本(『都市と野生の思考』

という新書)を読んだ。                

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  自分の哲学は、人びとの生活実感にもとづくものに

したいという鷲田さん。

 アフリカの現地に出向いて40年も、ゴリラ(人間に最も

近い霊長類)ひとすじに研究を続けてきた山極さん。

 

 書名が『都市と野生の思考』とあるように、

お二人が述べられる事柄は多岐にわたるけれど、

どれも、「生きものとして本来は」「ゴリラでは」

というおもしろ味にあふれていた。

(紹介したい話がいっぱいあったのですが、少しだけ)

 

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【引用】 

テリトリーの起源と男権社会の誕生

 

人間も基本は家族なんだけれども、それより大きなコミュニティをつくるように

なった。だから人間社会は、テリトリーをつくることになったのだと思います。

コミュニティができて定住すると、コミュニティ同士の争いが起きますね。すると

土地を守る男たちが力を持つようになり、父権的な社会になるわけです。

けれども、本来は母系的な社会が人間の原型だと僕は思います。

日本でも平安時代ぐらいまでは、母系的な傾向が残っていたと思うんです。

その象徴と言えるのが妻問い婚が行われていたこと。これは女性を所有できない

社会にしか見られない風習ですよ。女性が自分で男性を選ぶことができるわけ

ですから。

 

ひとりで暮らすことを選ばなかったメス

オランウータンはともかくとして、霊長類のメスはひとりで暮らす道を

選ばなかったのだということです。…子どもを育てるには時間も手間もかかる

からです。だからメスは、自分ひとりですべてをまかなう道を選ばなかった

身の安全は誰かに付託するとか、あるいは共同で守ることにしたので、

敵と戦う体に発達することもなかった。だからメスはみんな人な地味な出で立ちを

していて、体も大きくない。一方で他者をそそのかして利用する能力には

優れている。

 

■ 人間もゴリラのように基本は家族なんだけど、

生存し続けていくにはより大きなコミュニティ、

社会をつくる方が適しているので「テリトリー」を

つくることになった。

 で、力の強い男がエラそうになった。

(→父権的な社会、家父長制の登場)

 

 ということだが、私はテリトリーはさまざま

レベルで存在するではないかと思った。 

 国家など大きい話になると、「主権」がテリトリー

ということになるのだろう。

  ふだん、「国」「都道府県」「市町村」などを

テリトリーと意識することはないが、それはこれらが

観念という頭での社会の決めごとだからか。

 ところがそこで、食べ、休み、子どもを産み育てる

「家庭(わが家)」はまったく違う。「ここは自分の

テリトリー」と感じる。

(「わが家」どころか、「ここはわたしのテリトリー。入らんとって!」と

ウチでは冗談ばりに言われることがあるけれど《冗談ではない?》、

「テリトリー」は動物的な感覚にもとづくものかもしれない。

そういえば、大人でも電車の横がけシート席に座ったとき、無意識のうちに

「ここまでは自分のもの」と思ったり、子どもの砂場遊びで《なかよくいっしょに

遊んでいるかと思うと》ときどき「ここからはいちゃあだめ!」とやっている)

 

 大きい話。

日本の社会では、それが他人におかされることは

めったにないので、あえてわが家を「テリトリー」と

意識することはあまりない 

「平和ボケ」などと言われることがあるけれど、

そう揶揄されるほど安心・安全、平和な社会、国に

生を享けていることはすなおに感謝したい。

 

 だからこそ、地球のどこに暮らしていても、

「テリトリー」が尊重され、あえてそれを思うこと

なくてもよいよう、だれもが心おだやかに暮らせる

ようになればいい。

「難民」という言葉が消えてなくなればいい。

 

■ 生物に雌雄の両性がある方が、単性だけより

生存・生殖に有利であることはこれまで読んだ本にも

あって知っていたが、「ひとりで暮らすことを

選ばなかったメス」という観点は初めてで、新鮮に

感じた。

 ひとりで暮らすほうが男と暮らすことの面倒が

なく楽ちんであっても、マリアさまのように自然に、

勝手に子どもを授かるということはありえないから、

男性の存在は欠かせぬにしても、それはそのときだけ

のこと。あとは男はいなくてもいいのである。

いなくてもいい」のだが、「いたほうがいい」

できれば「いてほしい」と思われる男性に(いまころ

なって遅いが)なりたい。

 

一方で他者をそそのかして利用する能力には

優れているというのには笑ってしまった。 

「他者」を男性ということにすれば、ほとんどの

男は簡単にそそのかされるに違いない。

(人恋しい老いた財産家の男であったら、ある日、うら若き《でなくとも》

女性が現れ、やさしい言葉をかけられたら、コロッといくだろう。

まんまと結婚詐欺で騙されたり、最悪、保険金殺人にも遭うかもしれない。 

そういえばブログ書いている最中、「 美少女とイチャイチャ『おもいで』づくり」

というゲーム の宣伝が出てきた。頼みもしないのに「男の性」をそそのかす

ような画像・言葉がいたるところで勝手に出て困る《もう少し若かったら

クリックしたかも…》)

 でも、女性は共感能力に優れているというし、

「そそのかす」というのをいい意味での使い方を

すれば(あるいは、誤解を与えやすいのでこの言葉はやめる)

相手の心に訴え、同情・同感・共感を引きだす。 

(ところで男は結婚すれば、家族をもてば「まもらなければ…」と相手を思う。

別に女性に「そそのかされて」そういう気もちが起きるわけではないので、これは

これで生きものとしてもともと仕組まれた働きなのだろう)

 

 

 

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                             ちりとてちん

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