カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.10.11 ぜったい許したくない神戸教師のイジメ

         カメキチの目

 

 

(きょうは、テレビの旅番組で心が熱くなったことを「ラパスのサッカー少年」

というタイトルで書くつもりだったが《それは次回にして》、いまは真反対の、

怒りでまっ赤に燃えている心境を書きます。内臓にまで飛び火した思い)

 

 腸が煮えくりかえっている。

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 何に対してか?

 

モリカケ」「トランプ」(最近は「香港」、「関電」のこと

もあり)など国や社会の不正・不合理・矛盾は限り

ないほど多いが、「神戸の小学校教師の同僚いじめ」

ほど許せないと感じ、怒りくるったことは、長い(長くは

ないか)人生でもない。

「小学校の先生が…先生が…」である。

私には天地がひっくり返った出来事に感じられた。

 

愛読しているおしょぶ~さんが4日書いておられ、初めて知って驚きました。

いまじゃ全国的に広がった。

あっちこっちで似たようなのが出てこないことを祈るばかりです。        

           ↓

osyobu-osyobu-3889.hatenadiary.jp

 

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 小学校教師が相手にしているのは、まだいたいけな

子どもである。

 

 小学生は、

自我の芽ばえも生まれ、ちょっと生意気になってくる

中学生や、

教師といっても職業の「一種」、大人という人間の

「一種」だとわかる判断力、人を見る目も育ち、

反抗もしてくるようになる(教師を心のなかでは「センコー」と呼び

《なかにはちゃんと「先生」と呼んだ方もいます》、「エラそうにするんじゃ

ねーよ!」と突っかかることもある)高校生とはまったく違う。

 

 私は小学校時代は子羊のように従順だった。

 先生は親より偉いと信じていた。

 いまもそれでよかったと思っている。

(もっとも中学校にいくと、「お前の成績ではここはムリ」という担任にムカッ、

次の学校では反抗的な私に学校は「退学させるぞ」と言い、それとは関係なく

自分から中退した)

 自分自身の子ども時代を思いだして、ホント

そう思う。

 

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 一時期、「教師は聖職かふつうの労働者か?」と

問われたことがあった。

 私は「ふつうの労働者」「単なる労働者」とは、

そのときもいまも思っていない。

 

 

 

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                          ちりとてちん

 

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