カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.11.12 『平成史講義』② 経済‐上

         カメキチの目

 

 

 よくいわれる「バブル」やリーマンショック」。

当時、それらに浮かれたことも泣いたことないので

他人事に思えた。

 

 自分自身はなかったけれど、「ありえたかも

しれない」「あったかもしれなかった」。

 そういう考え方だけは忘れないでおきたい。 

 

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「平成」の二つ目は経済の話

(長くなるので、上下にわけて書きます)

 

(下)のほうに本の【引用】を書くので、②(上)

きょうは私が横目で見たバブルの話。

  

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◆ バブル                        

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 私は民間の福祉施設で働いていた。

 

(「福祉」は利用者・入所者の人権にかかわるところで、「儲け」「利潤」優先

自由市場に投げだされることは法令で禁止されていました。

 

福祉事業をできる主体《事業者》には公もありますが、民間の場合は公益法人

限られ、運営費は「公」「民」に関わらず、国から「措置費」という必要なお金が

出ます《財源は税金なので、使途については「監査」という行政の目が厳しい》。

 

ところが、政府は2000年(平成12年)、社会福祉事業を「民営化」をし、福祉も

「聖域」ではなくなり、誰でも《儲けのためにでも》福祉事業をできるように

なりました。

したがって福祉に乗りだせば、最低の設置基準さえ満たせば、事業者《企業》は

福祉事業を行え、財源は利用者から利用料を得ればよいわけです。

利用者の利用料はさまざまな料金体系がありますが、プラスαの高待遇《処遇》を

期待しないのなら、直接的には利用者個人からの徴収であっても《お金の出所は

介護保険や年金など公的なを財源だから》「とりっぱぐれ」がありません。

 

この仕組みに胡坐をかいた酷い事業者があり問題になっています。

福祉への民間参入がうまく働き、事業者同士の競争によって、手あつい、

「よりよい福祉」実現されることになれば万々歳なのですが

 

 一部の福祉分野では「措置費」という形が続き、

お客(利用者)獲得競争にさらされることなく世の中の景気影響を受けることはほとんどなかった。

 (私の勤め先はそういうところだった。だから、世の中の好不況に鈍感でした。

あとになって、そのころは「バブル景気」だったのだなぁと感慨ぶかく《?》

思ったことがあります。

「そのころ」というのは勤めていた施設建物が老朽化したということでを全部解体、

建て替えるというときのこと。

(一) バブル景気だったので企業は太っ腹。多額の建て替え建築費の一部を

民間寄付より募るため、企業まわりをした。

ガボガボとまではいわないが》ガポガポ集まった。後年、いまだったらあのとき

のような寄付はぜったいムリだと思った。

(二)  バブル景気だったので、建て替え工事の人夫さんがなかなか集まらず、

工事の期日が遅れることを現場監督さんが嘆かれていた。

バブル景気に支えられて人手不足。人夫さんはちょっとでも高い賃金のところに

流れた。

(三) 勤務先の施設長は、新人職員採用のため苦労していた

バブル景気で、一般企業のほうが給料のほか待遇がいいということで、専門学校で

専門の勉強しても学んだことに関係のない職業につく学生さんが多かった。

学校に行き、「私どものところに来る学生を紹介してください」とオジギバッタ

《バッタの種類に「オジギバッタ」といって、胴体の中あたりをつかむとお辞儀を

繰りかえす》のように頭をさげた)

 

 

                     f:id:kame710:20171029114701j:plain                         ちりとてちん

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