kame710のブログ

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.11.15 『平成史講義』③ 経済‐下

          カメキチの目

 

 

(いきなり本の引用に入ります。少し長いですがうなずけることばかりです。

ぜひ、お読みください)

 

【引用】

平成の30年間で激変した企業利益と賃金の関係

企業利益が増加すれば賃金も上昇するというのが、戦後の労使関係における

規範的な姿であったと考えてよいだろう。…

(だが、1998~2010は会社の)利益が増えても賃金は増えない…

日本社会は、平成の終わりを迎え、ついに(2011~)賃金を削って利益を

確保する(新時代にはいった)

 

「新時代の『日本的経営』」がもたらしたもの

しかし、このような戦後最大級の経済危機北海道拓殖銀行の破綻、山一証券

廃業など)に際し、政府首脳や企業経営者たちが、あたかもそれを傍観するような

態度を取りえたのは、一体、どのような背景によるものだったのだろうか。

新自由主義経済思想

新自由主義経済思想)に用いられたポートフォリオという言葉は、

本来は、金融資産の保有について、リスクを低減させるためには様々な種類に

分散投資する組み合わせのことを指している。このような金融の概念を

人事・労務の実務に持ち込んだことは、戦後の労使関係の通念からすれば、

驚くべきことであった。

 

「雇用流動化論」と「構造改革

(「終身雇用」という)日本的雇用慣行が「会社人間」を再生産しており、

真に実りある職業生活を実現するために、(日本的)雇用慣行を作り変えなくては

ならないというメッセージは、発表当時、多くの人の心をとらえることになった。

また、雇用流動化論は、企業経営や労使関係の改革にとどまるものではない

広がりをもっていた。それは、当時「構造改革」といって議論されていた、

社会運営の思想を根底に置くものだったのである。

政府は、1995年12月に「構造改革のための経済社会計画」を閣議決定し、

市場メカニズムの発揮」、「規制緩和の推進」、「自己責任原則の確立」などを

経済運営の基本方針とすることを明文化した。雇用流動化論は、まさに、

この構造改革の雇用部分を構成するものであり、雇用流動化論を批判することは、

同時に構造改革を批判するものでなくてはならなかったのである。

 

冷戦構造終結インパク

アメリカの勝利のもとに冷戦が終結したことは「自由主義市場経済体制の勝利」と

認識され、市場メカニズムへの信認を大いに高めることになった。

 

進む構造改革

新古典派経済学新自由主義経済思想)が主導した構造改革は、着実に

組織の中に入り込んできた。

成果主義型賃金の導入もその一つである。

成果主義型賃金は、1990年代の後半から2000年代の前半期にかけて盛んに

導入されたが、時を同じくして、同一年齢層の労働者の間で、賃金格差が目立って

拡大するようになった。…→「格差社会」の到来

竹中平蔵経済財務担当大臣は「経済成長率が下がる以上、完全失業率が高まる

ことは甘受しなければならない」(2003)とまで言い切った。→「聖域なき構造改革

 

社会の保守化と官製春闘

・経済運営の持つ魔力

しかし、政府の世論誘導は巧みであり、効果的に「成長戦略」を打ち出すことに

よって、大衆がGDPの量的拡大を歓喜をもって受け入れる土壌を、着々とつくり

出していったのである。

(労働者全体としての実質賃金の低下という)こうした現実は、社会全体として

問題視されない限り、一人ひとりの労働者にはわからない。

特に、ナショナルセンターとの関りを意識することのない労働者層にとっては、

賃金額の増加として素直に受け入れられたに違いないのである。

・会社の行方

労働者の実質購買力が伸び悩み、さらにはそれが低下するに及んで、

国内市場の疲弊と縮小は決定的なものとなった。…

(格差の拡大、平均賃金の低下、人々の働きがいの喪失)しかし、社会の混乱と

人々の不安心理の高まりは、戦後日本社会が創り上げてきた「日本型雇用」の

価値を再発見するという方向ではなく、強大な国家権力によって直接的に人々が

救済される方向へと、大衆社会を誘うこととなったのである。

しかも、こうした状況のもとで、現実には人々の窮乏化が進行しているにも

かかわらず、国家へと救済を求める志向性にとどまる気配はない。…

いわゆる「働き方改革」も国家主導で推し進められるだろう。

 

( 注:下線は私がしたもの、黒字のところは書き加えました)

 

 書かれていることにいちいち深くうなずかされた。

 思いつくことを書いてみたい。

 

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◆ 下線①の部分

ついに(2011~)賃金を削って利益を確保する

は⑤の部分

政府の世論誘導は巧みであり、効果的に「成長戦略」を打ち出すことによって、

大衆がGDPの量的拡大を歓喜をもって受け入れる土壌を、着々とつくり出して

いったのである。

こうした現実は、社会全体として問題視されない限り、一人ひとりの労働者には

わからない。

と深く関連していると思う。

 

 新聞、テレビニュースなどでよく経済状況、景気の

状態が毎日のように伝えられるが、実のところ世間の

受けとられ方はどうなんだろう?

「ニュースで政府は好況と言ってるが、実感がない」「『成長』…と政府は『成長』をバカみたいに唱え、

まるで『成長教』の信者みたいだ」

 多くの国民にとって、政府発表の国民経済指標

は、聞いたそのときだけ「ああ、世間ではそうかぁ」

と気にとめ、NHKが毎度、ニュースの終わり画面で

ご丁寧に「きょうの株価」を報じているが、(金融に関心の

ある方、株や証券を所有している人を除いては)おおかたの庶民は

右から左へ流すだけなのではないだろうか

 

 物事は何でもそうだけど、視点をどこに置くかに

よって、見え方がまったく異なってくる。

 政府お抱えの(御用)学者の「お説」に

目をくらまさせることのないようにしたい。

 庶民は庶民、(日本経済という大きな話であっても)身近に

感じられるよう、納得がいくよう、わかりやすく

語ってくれる話をききたい。

(この本を読んでいると、「大きな話」がとても身近に感じられました)

 

 どこかの野党が社会全体として問題視し、野党みんなが

一致することは協力し合い、共闘すればいいのに…

 

 

◆ 下線②の部分

このような金融の概念を人事・労務の実務に持ち込んだことは、戦後の労使関係の

通念からすれば、驚くべきことであった。

 

ポートフォリオ」という言葉、どこかで聞いたこと

あったけれど、金融の概念だったとは知らなかった。

 より効率よく儲け・利益・利潤をあげるには、

(労働者)カネ(モノ)に見たてるのが有効という

理屈によって、労働者は人間性というような曖昧な、

数値化がむずかしい価値は捨てさられる。

 

◆ 下線③の部分

雇用流動化論は、まさに、この構造改革の雇用部分を構成するものであり、

雇用流動化論を批判することは、同時に構造改革を批判するものでなくては

ならなかったのである。

は④の部分

成果主義型賃金の導入もその一つである。

⑥の部分

「日本型雇用」の価値を再発見するという方向ではなく、強大な国家権力によって

直接的に人々が救済される方向へと、大衆社会を誘うこととなったのである。

と深く関連していると思った。

 

 働いているとき、自分の職場には関係なかったが

構造改革」という言葉がよく聞こえた。

(職場は子どもの福祉関係だったので、国の少子化対策「エンゼルプラン」

という言葉が、耳にタコができるほど行政から聞こえた。

そのうちまったく聞こえなくなった。

少子化」が解決されたわけではないので諦められたのだろう)

それに、「労働者派遣(法)」。

(「構造改革」というのは「改革」という言葉がついているので、何か旧弊を

改める良き事という印象があったが、当時はわけがわからなかった。

ただ、政府がやるものということだけで私は胡散臭さを感じていた)

 

 なるほど「雇用流動化」と「労働者派遣」。

 御用学者とそれに連なる官僚連中は、国語が専門

ではないのだろうが、肌ざわりがいい、というか

国民に受けいれられやすい文言(消費税。8から10へのアップ

でさえ国民には受けいれ難いので「軽減税率」という人参をぶら下げたことを

思いだす)考えるもんだなあと感心した。

 

「労働」「働く」ということは、それを通して労働者

個人こじんのひめられた能力、才能を開花させる

可能性開花するとは限らない。ただ信じるものではないでしょうか)

もつことで、それを通して他人のためになっている

ということだと私は思う。

 

オマケ

「桜をみる会」というのに多額の国のおカネが使われたことが問題になってます。

「桜をみる会」という存在自体を知らなかったので、こんなのがあるということに

まずは驚きました。

望めば国民なら誰でも自由参加できる、というのであればまだ納得がいきますが

どうもそうではないらしい。

 

天皇即位関連の儀式に先日のパレードをはじめ、全費用はいくらかかるのだろう?

夕べからの大嘗祭なるものには24億円が使われるとテレビが言っていました。

天皇ご夫妻は「必要以上にきらびやかに飾ることはない」と思っておられても、

自分たちは日本国の象徴にすぎない、お飾りなので言いたいことも言えないと

嘆いておられるのではなかろうか。

桜も天皇もいいように権力者が扱おうとしているのが、私の目には見え見え。

 

財政がきびしいから…という大ウソを、こういう誰でも「アレっ?」というところから見ぬかなければならないとつくづく思う。

 

さきの台風被害のボランティアがなかなか集まらないと聞きます。

国民どうしの相互扶助はすばらしく人間的で美しいけれど、突然、こんどのような

不幸に襲われたときのために国民みんなが助けあうという約束で国がつくられ、

税金をわれわれは納めているのではないだろうか。

「ボランティアが…」と言っているときではない。

国は桜をみるのではなく、困っている国民にカネを出せ!

 

 

 

 

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