カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.12.20 『M世界の憂鬱な、先端』

          カメキチの目

 

(11月5日から長く書いた、『平成史講義』の本で紹介があった吉岡忍さん

ルポライター》の『M世界の憂鬱な、先端』という本を読んだ。

 

宮﨑勤による連続少女誘拐殺人事件、神戸A少年事件を取材されたもの。

 

じつにていねいに書かれており、事件の残忍さゆえに途中でなんども読むのを

やめようと思ったけれど、著者の「この事件のことをきちんと書き残して

おかなければ…」というような強烈な執念を感じ、543ページもある大著だったが

読みとおした《私にはこんな分厚い本は初めてだった》。

たくさん付箋を貼るところがあった。

読んでほんとうによかった。

長くなるけれど、書きたい。

 

 宮﨑事件は1988《昭和63》年から1989《平成元》年にかけて、

神戸A少年事件は1997《平成9》年に起きている。

私は当時は働き盛り。仕事が忙しかったこともあり、両事件とも詳しくは

知らなかった。

知るのは、せいぜいマスコミが新聞・テレビで報道していたことくらい。

上っ面をなめるようなことだけだった。 

                    

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あれから31年《Aからは22年》

著者のこの労作からは教えられ、学ぶことがいっぱいあった。

 

二つとも残忍きわまりない点が共通しており、事件の特異性や異常性ばかりに

目が向きがちであるが、底には、彼らをそうさせてしまった大人中心の社会の姿、

あり方が厳然と存在するのだ、ということを深く考えさせられた

 

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 著者の基本的な視点は二つに分けられる(と思った)

 

① どんなに異常、特異、残虐、「普通の」神経では

想像できない犯罪であっても(宮﨑、A少年という具体的な人物、

個人によって行われた。だから当然、個人という主体の責任が問われるけれども)

それだけで終わってはいけない。

 彼らが生きてきた、罪を犯すまでになった家庭

(家族)、学校(教育)、地域、日本という環境・社会を

除外するわけには決していかないということ。

 

② ①とも関連するが、とくに学校(教育)の重さ。

 

(記事を書くとき、どういうふうに書こうかといろいろと試したのですが、私の

拙い力量ではまとまらず、《ヘタにまとめようとすると著者のいいたいことが

うまく伝わらない気がするので》、引用文とそれに対する自分の考え・思いだけに

とどめました。

引用は本の流れにそっています) 

 

【引用】 

バブルとならんで、20世紀の日本人が壮大な規模で経験したことといえば、

あとは戦争しかない。

あの戦争も国民が少しずつ狂わなければできなかった事業であり、

やはり国を挙げての退廃と、とんでもない悲惨を内外にもたらした出来事だった。

戦争とバブル、…ふたつの出来事は、日本人全体が一億火の玉に、

つまりは一人ひとりの相違を消し去って集団に適応し、

ひとかたまりとなって暴走したという点で、案外近かった。 

経済大国化した日本の背中にはりついたおぞましい過去、

それがまるでなかったかのように豊かに明るくふるまっている現在の日本。 

あのとき私たちは問われていたのだ。日本よ、…なにを記憶しつづけるのかと。

なにを記憶し、なにを記憶しないか、それがその社会の質と、そこに暮らす人間の

モラルを左右する。

そのことに、日本の人たちは気がついているか、と。…

  ↑

(本のいちばん初めに「まとめ」「結論」みたいなことが述べられる。

日本よ、…なにを記憶しつづけるのかと。なにを記憶し、…」が重く響いた)

 

いま、ここだけの関心。スライスされた現在にしか広がっていかない意識。

それは過去から解き放たれて自由だろうが、どこに向かっても、どんな速度でも

はじけ飛んでいけるという意味で、やっかいなものである。

  ↑

(宮﨑勤は、他はそこそこ《なかには優秀とさえいえるものも》の成績なのに、

社会科がとても苦手だった。原爆が落とされたのが広島であり長崎であることも

知らない。知ろうとしない。

昔のことは「今、現在」に関係ないと言い、歴史にはまったく関心がなかった)

 

加害者は必然の糸に導かれるように加害者になっていく。

必然が生まれ、…ある日、事件を起こさせて加害者にしてしまう。 

すべてではもちろんないが、どこか要所となるところは、私(著者)の日常と

つながっている、という漠然とした感覚。

彼や彼女が事件に突き進んでいった道筋をたどってみれば、そこに私が生きている

現実や世の中や世界が共通に抱え込んでいる落とし穴がひそんでいるはずだ、

というぼんやりとした予感、あるいはシンパシー。…

  ↑

(宮﨑勤やA少年の犯罪を、「異次元の人間だからこそやれたこと」「あれほどの

残虐は想像だにできない」「自分にはまったく関係ない」というふうにとらえては

いけないと、著者はいう) 

 

この集団への信仰、集団に溶け込まないことは道徳的にも非難されるべきこと…

と言わんばかりの教育的信念はいったいなんなのだ、と私は思う。

集団への適応強制そのものである。

それだけで教育が終わらないことも、教師たちは知っていなければならない。

集団とのつきあい方を学ぶことは同時に、痛切に一人になりたいと思うことで

あったり、孤独の意味を考えたりすることではなかったか。

私の国における、この個人という存在の不幸を宮﨑勤は背負っていた。

宮﨑勤が一人か少人数でしか遊ばない、明るくない、自分の考えをはっきり

言えない、と気づいていた教師たちは、ただ非難がましくそう書いているだけで、

(宮﨑勤の)手首の不自由、手首のことをめぐって彼が思い悩んでいたことには

(教師には)入っていかなかった。

それはとうとう表現されることなく、彼の内部へと押し込められていった。

  ↑

(宮﨑勤には、生活するには不自由ではないけれど、生まれたときからの

手首の不自由があった。手首を裏がえしたりの自由な動きができない。たとえば、

何かを欲しがったり、もらうときの「ちょうだい」《手のひらを上に向ける動作》

が出来ない。その障害が幼いときからコンプレックスとしてどれほど彼を苦しめた

ことだろう。

その悩み、苦しみをきちんと理解し、そんな劣等感をやわらげ、気にしないような

人間にしていくための子育て《教育》を施してくれる大人、先生が誰ひとりとして

いなかった)

 

彼らは経済大国化したあとの日本に生まれ、育ってきた。

そこで教育を受けてきた。

歴史を、現代につながり、いまとここという時空間を支える過去の蓄積として

伝えなかったのは学校教育であり、戦後の社会と文化だった。

伝えなかったものは、伝わらない。語られなかったものは、語れない。

あの戦争の時代には深入りしないほうがよい、見ないようにしよう。

それが戦後教育と戦後文化の約束ごとだった。…

戦後日本は…過去は、近い過去は見ないようにしよう、

現在と未来しかないと考えよう。私の国はそうやって生きてきた。

私の国も教育もそうやって成り立ってきた。

  ↑

(あらためて著者は、社会的背景に眼を向けることのたいせつさ、とくに「教育」

といわれるものの責任の重さを説く)

 

「いま関係ない」。

そのひとことで、世の中の歴史も仕組みも、

大人たちが現実だと思っている出来事も関心の外に追いやることの

できる子どもたちだった。

みんながやっていることを、やる。いちばん流行っていることを、夢中でやる。

それが自分にとってだいじなことなのか、ほんとうに好きなことなのかどうか

わからなくても、とにかく熱中してやる(そうしなければ、イジメに遭う怖さ)

集団と集団が作りだす現実に適応しなければならない、

と幼いころからの学校教育のなかで植えつけられた適応強制の記憶が、

そこにさらに拍車をかけたかもしれない。

そのような非現実的現実を、あのころ私の国では、文化と呼んだ。

消費文化とかサブカルチャーと呼んだ者もいる。

流行っているものがある、というのが宮﨑勤が見つけた答えだった。

それは個人が、いきなり世の中や世界と結びついてしまうやり方だった。

  ↑

「いま関係ない」。宮﨑勤にとっては、この言葉は「金科玉条」だったに

違いない。「問答無用」と言い換えてもよい。

しかし、いくらそう心で叫んでも、子どものときは学校に行かなければならないと

固く信じていたので、学校に行き、集団に適応し、耐えねばならなかった。

手首の不自由さという障害がぜったい見つからないようにした。コンプレックスを

隠し通した)

 

しかし、目には見えないもの、指すことのできない事態、にもかかわらず

体の奥底からつき上げてきて、なんとしても言葉をあたえなければおさまりの

つかない衝撃や驚異や謎がある。

人が生まれる、それを誕生と呼ぶ。人と人が惹かれ合う、それを愛と呼ぶ。

人が息を引き取る、それを死と呼ぶ。

人を超えた存在を実感する、それを神と呼ぶ。

だが、とりあえずそう呼んでみても、その言葉にはおさまりきらない謎がある。

言葉を揺り動かす驚異がある。人間の内部からわき上がってくる衝迫がある

認識やコミュニケーションの言葉と同時に、人間は実存にかかわるこうした言葉、

魂の言葉を作りだしたろう、と私は思う。

そういうもの(イヤなもの)に直面し、直視せざるをえなくなったとき、

とっさに彼は無機的な言葉に置き換えてしまう。モノ化する、と言ってもよい。

キレる、ムカつく、にも深い背景がある。キレてはいけません、

などと説教するより、その背後にひそんでいる理由や意味をどれだけ探り、

想像できるか、それこそがだいじだと私は考えるのだが、

同じように、宮﨑勤のうしろにも精神の決壊にいたる入り組んだ生活史があった。

  ↑

(「宮﨑勤のうしろにも精神の決壊にいたる入り組んだ生活史を、著者は詳細に

述べる《だから543ページにもなったのだ》。

私なら面倒で投げだしたくなるこまごまとしたそういうことを知ることが、

宮﨑勤という人物がどうして信じられない《信じたくない》ような殺人事件を

起こしたのかを理解していくために、どれほどたいせつなことかを痛感した)

 

ジャーゴン(専門難解用語)は便利ではあるが、しばしば分類やレッテル貼り

だけで終わってしまう。それは人間や文化であれ、世の中や世界であれ、

静的な標本としてしか見ない態度である。

私は私が生きている時空間を同じように動いている宮﨑勤を見たいと思う。

私はもう何年間も三種類の精神鑑定書を何十回、何百回と開き、

論告や弁論や判決や私自身のノートのメモとつきあわせ、どこかに誤解や手抜き、

見落としや不備があるはずだと調べてきた。

彼ら(鑑定した精神医学者)ばかりではなく、捜査官、検察官、弁護士、

裁判官も同じだった。追求する者、告発する者、擁護する者、裁く者、

それぞれみなが、各人の生活史のなかでさまざまな性体験をし、

性意識を作りあげてきた。性には公認のスタンダードがない。

一人ひとりが持っている性意識をつきあわせることもない。

それは内密のものだった。

すべてはここ(加害者が自ら撮った性の映像テープの解釈)から分岐していった。

彼ら一人ひとりの性意識によって生じた判断の相違が、犯行動機と事件全体の見方

、宮﨑勤の精神鑑定のちがいとなっていく。

  ↑

(ここには、著者の司法に対する強い怒りが伝わってきた。

精神鑑定にあたった精神医学者たちの「専門性」のお粗末なことが本では長々と

述べられ、こき下ろされる。

なんのことはない、「精神医学」を深くふかく履修した学者しかわからぬと

言いたげなジャーゴン(専門難解用語)を散りばめた膨大な鑑定書ではあるが、

すべてはここ(加害者が自ら撮った性の映像テープの解釈)から…

彼ら一人ひとり(司法関係者、精神医学者)の性意識によって生じた判断の相違が、

犯行動機と事件全体の見方になっているのである)

 

 じつは本はここまで(3分の2くらい)宮﨑事件が

述べられており、次にA少年事件についての詳細が

加わり、おしまいにかけて、両事件を通しての感想、

考察が述べられる。

 

ひとつひとつの町を、私は「生活圏の町」と呼ぶことにした。

ニュータウン、郊外、団地、振興の住宅地。日本の北から南まで、

西であれ東であれ、いたるところに広がった新しい町。

田畑や果樹園や里山をつぶし、海辺や運河を埋めたてて造成された町。

それは20世紀最後の十年間、バブル崩壊後の深刻な不況にもかかわらず、

あちらこちらに芽を吹き、あっというまに面となり、

できそこないのジグソーパズルのようにつながっていった。

いや、たぶん不景気だったからこそ、なのだろう。多くの人々が自分の居場所を

確保しようと一生懸命になった。

先行きの見えないこの時空間、個人や家族でできることは、

さしあたってそれしかなかった。田舎でも都会でも、町でも市でも。

事件の起きた現場を歩くたびに、私は生活圏の町を見た。

事件の衝撃ももちろんだが、この事実(自分たちの町のなかから犯人が出たこと)

こそが生活圏の町の人々を打ちのめした

われわれはなにか間違えていたのか。

精いっぱい努力し、働き、生きてきた、そのことのどこかに誤りがあったのだろうか。

  ↑

(「この事実(自分たちの町のなかから犯人が出たこと)こそが

生活圏の町の人々を打ちのめした」と、続く「精いっぱい努力し、働き、

生きてきた、そのことのどこかに誤りがあったのだろうか」にガーンとなった。

 

いまでは地域で犯罪事件が起きるたびに、子どもたちの登下校にその地域の大人が

付きそう光景がふつうに見られる。大人たちはみんな「なんで、こんな静かで

平和な街から…」と首をかしげる

私の場合は「精いっぱい努力し」たとは思っていないけれど、多少の「失敗」は

あったと思うが致命的ではなかったのだろう。

自分では生き方に誤りがあったとは思っていないが、広く大きな文脈から見たら

「誤り」と呼べるものがあったのかもしれない)

 

(「内因性」のなにかと結びつけようとしていること)脳の異常、精神的変調、

家族関係の特殊なゆがみなどなど、ともかく本人の内部の傷を数えあげ、

本人がおかしかったのだ、という特異性に封じ込めたがっていることだった。

しかしながら、私が考えたかったのは「外因性」の問題だった。

A少年にあり、宮﨑勤にもあり、おそらくは、平凡な人間ですからと語った

母親にもあった、自分を徹底した受け身に置く姿勢、なにかよくわからないものに

振りまわされるだけの、ちっぽけな存在だという思い込み。

ここには生活圏の町をおおう文化が、少なくともある側面が反映している。

その、ちっぽけな存在にすぎないという意識が暴発するとき、

いつも突拍子もない事件が起きる。

  ↑

(「その、ちっぽけな存在にすぎないという意識が暴発するとき、いつも突拍子

もない事件が起きる」。

「自分という人間はとるに足らない存在…」と《よくいえば自分を「謙遜」

しているふうに思える》よく言う、思う。

しかし、これは大それた間違いだと、ここを読んで強く思った。

「とるに足らない存在…」と自分を極端に卑下する思いが内向し、バブルが

はじけるように、ある日、突拍子もない事件を起こしてしまうのだろうか。

「自分はとるに足らない者」だと思って)

 

世界が私を、神のような大きな力で支えていること。

私が世界を、絆のような小さな力で支えていること。

つきつめれば沖永良部島(A少年家族の故郷)の島生みの神話は、

世界と私の関係をそう説き明かしていたのだった。

主体は世界との関係のなかで生き、世界は主体との関係において成立する

ということ。

世界は主体にまとまりをあたえ、そんな世界を主体が支える。

私はムカつくという体験をしている。ナイフを持ち歩きたくなる、

という気もちを毎日体験している。しかし、それらは先生や親に説教されたり、

禁止されるばかりで、授業で語られる言葉のなかには、

どうしてそんな気もちになるのかと深く考えさせる手がかりもない。

先生も、そんなことは気にしていない。ただムカついてはいけない、と言うだけ…

しかし、ほんとうはここでこそ言葉が必要なのだ。

ムカつくことの中身はなんなのかと描いていく言葉。

友だちが口にする、ムカつくよな、キレそうだ、という気もちとちがうところや

同じところを腑わけして、私が私なりの、私に固有の気もちや境遇や考えを

持っているのだと自覚させてくれる言葉、それを手に入れなければならない。

そのようにして描かれ、自覚されることによって、

日々くり返されるとりとめもない体験は、ひとまとまりの意味を持つ経験になる。

言葉を獲得することで、人は体験を経験としてたくわえ、主体になっていく

ということ。

昭和天皇の戦争責任があいまいになっていったとき、ほんとうにほっとしたのは

おそらく日本人一人ひとり、その全体だったろう、と私は思う。

殺し、奪い、犯し、焼く。侵略とはそういうものであり、

その過程の一場面一場面に、一人ひとりの日本兵が、一人ひとりの日本人が直接に

、具体的にかかわっていた。そういうものでなかった侵略戦争など、古今東西

ひとつもない。その意味では、日本は普通に残酷な国であり、

日本人もまたありふれてサディスティックだった。

宮﨑勤のなかにあり、A少年のなかにもあった解離症状はそっくりそのまま、

私の国の戦後と現在に当てはまる。

歴史を忘れ、記憶を消すとは、まさに国を挙げての解離のはじまりだった。

いま私の目には、

A少年や宮﨑が私の国の姿そっくりに自分を作りあげていったように見えてくる。

両者がまったく相似形に見えてくる。

ここにはみごとな引き写し、完璧なまでの受動性がある。

だから、盗みはいけない、と言うだけだったら、それは規則である。

しかし、世界のはじまりを説き、世界が人間を神のような大きな力で

支えていること、人間が世界を絆や愛のような小さな力でやっと支えていることを

伝えながら、盗みはいけない、と物語るなら、それは規範となる。

だが、私の国には規範を語る文化がなかった。

時空間から時間をはずし、のっぺりと広がる空間だけで生きることに決めたはず

だった。そして、実際、そのようにやってきたからこそ経済的な豊かさを築き、

生活圏の町までたどり着けたのだった。 

  ↑

(長くなりましたが、最後のまとめです。

A少年家族の故郷である沖永良部島と、島の出身者たちが多く住んでいる神戸。

著者は島まで訪ねて取材するのです。

そこで知ることになった島生みの神話は、世界と私(人間)の関係を説き明かして

くれていた。

世界が私を、神のような大きな力で支えていること。私が世界を、絆のような

小さな力で支えていること

 

 

(※ 引用文中の赤字、黒字の追加のところは私がしたものです)

 

 

 

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                           ちりとてちん

 

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