カメキチの目
敬愛しているrecocaさんのブログに、この前
「きのうつまづいて顔面強打した」とあった。
身体はウソをつかない。自然・確実・正直に
衰退している。
(働いていたころ、職場で交通安全教室の「運動神経テスト」があった。
車を運転しているときの瞬時の動作速度を調べるものである。
まだ50代前後の私は、「ヘッ、若い女の子《保育士さんたち》に負けるわけない」
と高をくくっていたが…負けた)
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先日のこと。
スーパーに買い物に行くときの横断歩道に、
小さな穴凹があった。
(杖つきの私は絶えず足下を気をつけているが、そのぶん視野は狭く目は眼振、
複視という障害もあり、視力も悪いので、ツレに言われるまで気がつかなかった)
(白線なかほどの黒点が穴凹です)
穴凹ができるのは道路の「経年劣化」で、仕方ない
ことだから直せばすむ。
(だから、ここまでは問題ない)
しかし、穴凹はごていねいなことに周囲の白線に
合わせて白くしてあったのだ。
「これじゃ、ここに穴凹があるのがわからない。
履物を引っかけてつまずく人が…」と彼女が言った。
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道路の穴凹はあまりないが、段差はよくある。
その存在に気がつかないときも危ない。
段があっても形や色が同じときは(錯覚し)同平面に
見え、何の心構えもなく進もうとする。
(私は幸い《recocaさんには悪いが》顔面強打しなかったが、なんどたたらを
踏んだだろう。区切りをラインで示すとか色分けするなど境い目が目だつように
してほしい)
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「心構え」ということ。
(「注意」と言い換えてもいいです)
具体的には心の受け入れ態勢のようなもので、
自分がおかれた状況、そのときの状態がわかれば
危険をよけたり、よけられなくても最低限のケガ、
受難ですむ場合だってある。
(ぶつかるのが避けられなくても、「あーぁ、ぶつかる…」と先を見通し、
身構えることができる。結果、ケガは避けられなくても軽くてすむ)
心構え・注意、イメージする、意識することは
たいせつだと強く思った。
(recocaさんより若いとはいえ、私も年相応を悟らなければならない)