カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.4.10 「いつもと変わらない…」

         カメキチの目

 

 

 

コロナ感染に不安ないまは

「いつもと変わらない」というわけにはいかないが、

いや「いつもと変わっている」からこそ平穏無事だった日々を

ありがたく感じる。

またコロナのようなバチが当たることのないよう、

これからの平々凡々な日々をたいせつに生きたいと思います。

 

 「いつもと変わらない1日は 特別な1日

 

【引用】朝日新聞 鷲田清一「折々のことば」より

いつもと変わらない1日は 特別な1日 (水橋文美江〈脚本〉)    

 NHK連続テレビ小説「スカーレット」(3月27日放送)から。

主人公・喜美子の息子・武志は陶芸家をめざしているが、ある日白血病の診断に

余命を知る。

もがきながらも作陶に打ち込むなか、あたりまえの1日も周囲の人たちの

厚い思いやりによって支えられた一つの達成だと感じ、思いをこう記す。

そして最終回、「幸せやで」と母親にそっと告げた。人生の毎日も同じ。

 

 〈オマケ①〉 ツレにも印象深かったようで、その日みた直後、

「武志、『いつもと変わらない1日は』のあと、なんて言った?」と聞いた。

 

「折々のことば」のいちばん初めは、

めいわくかけて ありがとう

だった。

これはたこ八郎さんという方のことば。そのときの鷲田さんの言葉。

【引用】

 迷惑かけて「すみません」ではなくて、「ありがとう」。

荒れて、酔っぱらって、くだを巻き、周囲の人に迷惑かけるばかりだったけれど、

みんなはぼやき、怒鳴りながらも、見限らずに迷惑をかけられつづけてくれた、

そのことへの感謝である…

 

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 哲学は日常の生活から浮いたもの、現実の生活から

切り離された浮ついたもの、専門家のものではないと

ずっと前から言いつづけておられる鷲田さん。

気楽にコーヒーでも飲みながら自由に思い考えたことを語りあう場「哲学カフェ」

を実践しておられる(近くにあれば行きたい)。

 

 人間はパンのみで生きるにあらず。

 言葉のない「沈黙」「祈り」とともに、

言葉という形であらわされた「願い」「感謝」

「励まし」「信頼」がないと、人間は生きてゆけない

ということを、これまで生きてきて、折々に感じた。

本を読んだりドラマを観たりすると、ときどきキラリとした言葉を見つける。

そんなことがあるとすごく得した気もちになる。

(とくにブログでは《言葉だけでなく》これまで知らなかった世界に初めて出あう

ことがあり、とても新鮮です)

今は自由な時間が若いときより多くなり(老いた分、体力が衰えたので効率は

悪くなったけれど《「効率」なんかそれほど気にならない》)読書、テレビ鑑賞が

増え、ブログもやるようになり、キラリとした言葉との出あいもだんぜん増えた。

 

〈オマケ②〉 そういえば、喜美子の夫は「八さん」で、「八郎」だった。

       1回目のたこさんと同じでした。

 

 

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                           ちりとてちん

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