カメキチの目
コロナ感染に不安ないまは
「いつもと変わらない」というわけにはいかないが、
いや「いつもと変わっている」からこそ平穏無事だった日々を
ありがたく感じる。
またコロナのようなバチが当たることのないよう、
これからの平々凡々な日々をたいせつに生きたいと思います。
「いつもと変わらない1日は 特別な1日」
いつもと変わらない1日は 特別な1日 (水橋文美江〈脚本〉)
NHK連続テレビ小説「スカーレット」(3月27日放送)から。
主人公・喜美子の息子・武志は陶芸家をめざしているが、ある日白血病の診断に
余命を知る。
もがきながらも作陶に打ち込むなか、あたりまえの1日も周囲の人たちの
厚い思いやりによって支えられた一つの達成だと感じ、思いをこう記す。
そして最終回、「幸せやで」と母親にそっと告げた。人生の毎日も同じ。
〈オマケ①〉 ツレにも印象深かったようで、その日みた直後、
「武志、『いつもと変わらない1日は』のあと、なんて言った?」と聞いた。
「折々のことば」のいちばん初めは、
「めいわくかけて ありがとう」
だった。
これはたこ八郎さんという方のことば。そのときの鷲田さんの言葉。
【引用】
迷惑かけて「すみません」ではなくて、「ありがとう」。
荒れて、酔っぱらって、くだを巻き、周囲の人に迷惑かけるばかりだったけれど、
みんなはぼやき、怒鳴りながらも、見限らずに迷惑をかけられつづけてくれた、
そのことへの感謝である…
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哲学は日常の生活から浮いたもの、現実の生活から
切り離された浮ついたもの、専門家のものではないと
ずっと前から言いつづけておられる鷲田さん。
気楽にコーヒーでも飲みながら自由に思い考えたことを語りあう場「哲学カフェ」
を実践しておられる(近くにあれば行きたい)。
人間はパンのみで生きるにあらず。
言葉のない「沈黙」「祈り」とともに、
言葉という形であらわされた「願い」「感謝」
「励まし」「信頼」がないと、人間は生きてゆけない
ということを、これまで生きてきて、折々に感じた。
本を読んだりドラマを観たりすると、ときどきキラリとした言葉を見つける。
そんなことがあるとすごく得した気もちになる。
(とくにブログでは《言葉だけでなく》これまで知らなかった世界に初めて出あう
ことがあり、とても新鮮です)
今は自由な時間が若いときより多くなり(老いた分、体力が衰えたので効率は
悪くなったけれど《「効率」なんかそれほど気にならない》)読書、テレビ鑑賞が
増え、ブログもやるようになり、キラリとした言葉との出あいもだんぜん増えた。
〈オマケ②〉 そういえば、喜美子の夫は「八さん」で、「八郎」だった。
1回目のたこさんと同じでした。