カメキチの目
『ゆるく考える』 東 浩紀 という本を、題名に惹かれて読んだ
著者は文芸雑誌に批評を頼まれて書いたり、好きで小説を書いたり、ご自分で
(たぶん、「言論」をだいじにしようという思いで)「ゲンロン」という会社を
つくってさまざまなおもしろそうな企画をし、大学で哲学の教師もやるなど多彩な
活動をされている。
本には、私はこれまで考えたことのなかったようなことが述べられており、
とても新鮮に感じた。
自分の「石頭」がいかに硬い、固まっているか。そのコチコチ度を痛感させられた
(きょうは関連した二つのことを紹介します)
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① 「考えてもしかたがないこと」と
そうではないことの区別くらいは
自分で考える
【引用】
(「ウンまかせ」は)おそらく災害に溢れるこの列島の長い歴史で培われた、
一種の生活の知恵であり文化なのだろう。
高度成長期からバブル期まで、日本ではたまたま巨大地震がない時期が続いた。
だからそのあいだ、みな…忘れていた。…
ただぼくとしては、そのなかでもせめて「考えてもしかたがない」ことと
そうではないことの区別ぐらいは訴えていきたいと思う。…
原発事故の処理については、逆に考えなければどうしようもない。
同じことは高齢化や米軍基地問題についても言える。
すべてを災害をモデルにして捉えては無気力になるだけだ。
(注:カッコの追加、赤字はこちらでしました)
自然災害一般への私たち日本人の受けとめの姿勢、
あり方は、「なるようにしかならない」というウン
まかせに近い諦念がある?
少なくとも私には明らかにある。
ウチでは毎日、日本各地はもちろん、世界中の地震情報をチェックしている。
私は「ふーん」と受け流すことがほとんどだ(でも、現地の人々の怖さには
想いを馳せてみる)。
しかし、起きてしまった、事実となった原発事故。
それらを「考えてもしかたがないこと」と
自然災害と同列におき、同じ次元でみることは
やめよう、と著者はいっている。
事故は確かに想定外の巨大な地震(自然災害)が起きたことの結果であるけれど、
自然災害そのものではない。
「想定外の巨大な地震」が発生しても安全第一、事故が起きないように
努めなければならないのにそれを怠った「人災」なのだ。
(あえて「災害」とはいわないけれど、高齢化や沖縄の米軍基地などさまざまな
山積みする社会問題と原発事故は同格になった。
自然に寿命が延びたわけではないし、自然に沖縄だけに米軍基地が発生したわけ
ではない)
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② 「福島」を「フクシマ」へ(福島の観光地化)
著者、東さんはご自分の会社(「ゲンロン」)の観光企画で、チェルノブイリを
観光で訪れるという催しを長い間されている。
日本では「オキナワ」「ヒロシマ」「ナガサキ」など(それら以外にも小さな
慰霊碑はたくさんあります)たとえ負の遺産であっても、好奇心(それは人に
よりさまざま。楽しいものばかりとは限らない)が取り柄の観光で訪れることの
意義を訴えている。
原発事故の悲惨さをいくら他から知らされても、まずは現地でわが身で直接体験
(見て聞いて触って…)することがだいじというわけだ。そこには「悲惨さ」
ばかりがあるわけではないこともわかるという。
(沖縄、…が「オキナワ」…と言われるようになったように)福島が「フクシマ」
となるように福島を観光地化しようということ。
【引用】
〈福島第一原発「観光」記〉
原爆投下から70年、いまや広島が「ヒロシマ」となり、世界中から観光客を
呼び寄せているように、福島もまた将来的には世界の「フクシマ」となるべき
ではないだろうか。…
知識とイメージの落差は、そもそも原理的に、知識の増加だけで
埋まるものではない。
おそらくはその落差は、身体性を伴った「体験」によってしか埋まらない。
だからこそ観光地化が必要になる。現実にひとを「連れてくる」こと。
それでしか伝わらないことは確かにあるのだ。…
しかし、そのような「軽薄さ」を、言いかえれば、自由にフラットに、
関心の赴くままにものごとを観察する視線を再導入することなしには、
「フクシマ」をめぐる議論はすべて単純な友と敵の分割に回収されてしまう、
それこそが筆者の問題意識である。…
わたしたちを分断する階級や趣味、イデオロギーの壁が、観光の軽薄さのまえでは
たいした障害にならないということも意味している。…
「軽薄な統合」
(注:赤字はこちらでしました)
(「考えてもしかたがないこと」ではない原発事故。
チェルノブイリと同じく、その一つの自分にできる取りくみとして、
著者はその舞台である福島の「観光地化」をめざす)
ここに書かれていることに深く納得した。
なるほど、「観光」というのはそういう面があった
のかと私は頬を打たれたように驚いた。
「観光」というと、ふつう楽しいイメージがあるけど
ときにはお化け屋敷に入るような「怖いもの見たさ」
(好奇心)もある。
東北大震災後、福島の三春に行き、三陸の松島も訪ねたことがある。
どちらも被災の姿をみることが目的ではなく、三春は見事な「滝桜」、
松島は「日本三景の松島」の見物だった。
旅は大震災後の「がんばろう東北」支援にもつがることはもちろん頭にあったが、
「観光」でブラブラ歩いていることの「すみません」意識は旅の間中あった。
三春町を歩いていると突然、放射線の線量計に出くわし、松島までの電車の窓から
大津波が押しよせた跡の街の姿がみえた。
(コロナによる「旅の自粛」が解けたら、あの10万円も使って観光するつもり)
「わたしたちを分断する階級や趣味、
イデオロギーの壁が、観光の軽薄さのまえでは
たいした障害にならない」という文章、
「軽薄な統合」という言葉が強く心に響いた。