カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.6.1 人生

         カメキチの目

 

 

 人により形はいろいろでも、人生について考え思う

ことは誰にもある。

思春期のそれは直球で、「悩む」という言い方がいちばん似あっている(当方も

いちおう悩んだ。そのころ読んだ本はたった数冊だったが、一つにヘッセの

車輪の下』もあった)

 

青い悩みの時代は遠い昔のことになったが、 

 ハゲと白髪がないまぜの、立派な(外見だけ)老人に

なっても未だ自問が続いている。

「悟った」という境地にはとうてい至らない。

 しかし、至りたい 。

神仏じゃあるまいに。達するはずがない。

しかし自分なりに長く生きてきて、さまざまな経験・体験を積み、学び、

「こんなものだろう…」とそれなりに確信したことは増えた。

(わが人生も先が見えてきたので、至らなくてもどこかで手を打たねば…)

 

 青くさくても、「人生」ということに何かしら

感じ考えさせるところがありそうな本には、

いまもって惹かれる。

 

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『ナバホへの旅 たましいの風景』 河合隼雄 

というのを読んだ。

グーグルブックスによれば【引用】

臨床心理学の第一人者が探るアメリカ先住民癒しの文化の深層。

米南西部、ナバホの地へメディスンマンと出会う旅」 

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 次の箇所から、著者(亡くなられてから13年も経つけれど)

魂の声が聴こえてくる。

自分流の解釈、感想、感動をゴチャゴチャ書くと、河合さんの文章のすばらしさが

薄まり、歪められそうなので引用だけにとどめます。

 

【引用】 

創造性というと選ばれた者だけのもののように思われるかもしれないが、

私は沢山の人と心理療法の場でお会いしてきて、人間というものはすべて、

その人の人生を創造している、生きていること自体が創造活動である

と思うようになった。

つまり、すべての人間は芸術家として、世界に唯一の作品、つまり自分の人生を

創りあげてゆくのである

したがって、その手助けをする心理療法は、芸術としての側面をもつことになる。

 

(注:字はこっちでしました)

 

生きていること自体が創造活動。

人は誰も自分を生きていることにおいて、

人生を創りあげている芸術家。

著者の言葉を強く実感する。

(前回の記事に書いた「人は誰も自分の人生舞台では主人公」を想起します)

 

『ナバホへの旅 たましいの風景』 からは他にも書きたいことがあり、

もう1回だけ書きます。

 

アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、市警が武器を持たない黒人を9分間、

身体を路面に押しつけ頭を太ももで挟み、殺した。

テレビニュースで生々しい画面をみ、吐き気がした。

ニュースは続けて各地で起きあがった抗議運動を報じていた。

コロナの影響もあり、今夕は暴動にまで拡がった様子を伝えていた。

(昨夕、NHKの『これで分かった!世界はいま』という番組をみた。

ブラジルのコロナ感染者は米国に次いで2番目に多く、49万8000人以上で

その8割が「ファベーラ」と呼ばれるスラム街(貧民街)で出ているとのこと。

「ファベーラ」そっくりの原爆スラムの子どもたちと短い間のつき合いであったが

彼らの小屋のような住処たびたび足を運んだことがあるので想像できた。

原爆スラムはとうの昔になくなり、住民はすぐ近くに高層アパートが建てられて

移った。

ブラジルではいまだに大勢の人々が暮らしている。

差別され、貧しい生活を強いられる人々の存在が世界からなくなる日は

来るのだろうか)

 

 

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                            ちりとてちん

 

 

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