愛読している爽風上々さんが紹介しておられた本を読んだ。
「女性のいない」+「民主主義」という題名がとても新鮮に聞こえた。
本の内容はすばらしい紹介にお任せし、私が強く思ったことだけ書きます。
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「民主主義」を男女の問題でいうと「平等」を
連想する。
まさしく「女性がいてこその民主主義」。
人口の半分は女性という事実の重みを男は感じなければならない。
「女性のいない民主主義」は言葉ではあり得ても、
中身では矛盾しており、あり得ない。
本を読んで、
「男女平等」は口では(つまり頭では)軽く言えるけれど
社会での実現はむずかしい
とあらためて強く感じた。
ある大学では入学に男女差別があると問題になったことがある。
その大学は医学専門で、医師になっても女性は子どもができると辞めることが多い
という理由で男女差をつけたという。
女性が医者になっても辞めないですむ、働きつづけるにはどうすればよいか?
この大学のリーダーたちにはわからないのだろうか。
わからないはずはない。
要は
社会から男女の差別をなくそうという気がからっきしないのだ。
(心にないくせに形だけ「ご迷惑をおかけして…」と頭をさげる権力老人を見ると
《自分もそうだが》「クソジジイ」と呼びたくなる)
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本には、日本は世界の国々で断トツに女性の政治家
議員が少ないと述べられている。
(欧米など「先進」といわれる国々との比較だけではない)
著者は、主観的には女性を「差別」や「軽視」していないと思っていても、
客観的にはそうではないことを上述の事実が証明しているという。
なんだかんだと理屈(そういうのを「屁理屈」という)をこしらえて「やっぱり、
女は政治に向いていない」と言う。
ジェンダーという視点からあらゆる社会問題をみていく必要性を著者は力説される
(「民主主義的」といわれてもつぶさに見れば、中身が「男性本位」になっている
事実の何と多いことか)
また、あらゆるジェンダー問題は社会の視点でとらえなければならない。
(グーグル画像より)
本は、「先進国」の名に恥ずかしいと国際社会の
圧力(外圧)を受けて日本は従来の法制度を変えたり、
新たな法をつくり、近年おおきな女性の社会進出を
はかった、と続く。
確かに(まだまだ不完全ではあっても)世のなか全体が男女差別を許さない方向に
変わってきていることを感じる。
しかし…
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国会あるいは政府で、老人議員(に限らず若い議員でも
《なかには女性議員でさえ》)の見事というほかない(典型的な)
女性蔑視、ジェンダー差別の発言がいまだに
くり返されている。
こういうのは「口が滑って思わず本音が出た」と言い、けっして「たまたま」とは
言いません。
なかには、「『差別』ではない。これは『区別』」
と言いわけする議員(私もよくします)もいる。
それが「差別」か「区別」かはケースバイケースで具体的に判断していかなければ
ならないと思うけれど、著者の言う「ジェンダーという視点」の必要を痛感する。
「言いわけ議員」のようなところは私にもある 。
いまではこれまで男性中心だった仕事に女性が就くようになり、それは喜ばしい
ことであるけれど、危険が多く肉体的な力も必要になるもの(たとえば建築・
土木など)はやはり男性に向いている、病む人の看護の仕事は女性向きと思って
いた。
私のような古い者は、重い物は男が持つ、危ないことは男がやるといった気遣いは
子どものころから当然だと思っていた(「レディファースト」というスマートな
ものではない。この言葉はあとで知った)。
「男は度胸、女は愛嬌」とまでは思わないが、やさしい笑顔は女性、(昔のCM)
「男は黙って〇〇ビール」が男には似あうと思っていた。
しかし、こういう日常的な、一見なんでもないような見方が無意識のうちに
「思い込み」「偏見」につながり、ひいては「差別」を生み出す温床となっていく
(老人議員のバカ発言は他人事ではないのだ)。
そういう異性への古くさい見方は、たとえ善意・気遣いから発したものでも
(そうだからこそよけいに始末が悪い)「差別」「区別」に関係なく、その観念、
つまり「男はこうあらねば」「女は…」というジェンダー意識を育て、人を縛り
つけてしまいがちになる。
(《とても恥ずかしいことだが》なんでこっちの気もちがわかってくれないと私は
いまのご時世では「暴力」「体罰」「虐待」と言われかねない男特有の横暴を
家族にはたらくことがあった)
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読みおえて、「民主主義」がそうであるように
「男女平等」も終わりというものではないと思った。
〈オマケ〉
男性が女性をカネで「買う」(売春)、またはこれに近い行いを、究極の男女差別
と言わないで何を言うだろう(性的な違いだからこれは「区別」という意見も
あろうか)。
絶対あり得ないとわかっていても自分がおカネ持ちで、そのカネ欲しさで近づく
美女がいたとして、彼女に「自分をだいじにしないといけないよ」とカッコよく
(カッコ悪くても)突き放せる男に私はなれるだろうか。
(突き放してもおカネはあげるのダ)